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重い病気の人へ向ける善意

数年前にがんの闘病をして寛解した、という方とお話をしました。
病気を周囲に告げて以来体験されたお話を伺ったのですが、うんと考えさせられました。

その方はお顔が広かったこともあり、本当にたくさんの人からお見舞い、励まし、贈り物(寄せ書き、御守、千羽鶴、”奇跡の水”・・・)、また 民間療法とか宗教とか祈祷師の派遣などの紹介や勧誘・・・を受けた、とのこと。

それらが善意からものだと分かるだけに拒絶も出来ず、あまりに困ったときだけお断りをすると、怒りを向けられたり呪いの言葉を残されたり・・・ということもあったそうで。

病状の詮索は嫌ですね、元気な仲間みんなで訪ねちゃうのも、必ずしも嬉しくないかも。
「あなただからきっと治る。大丈夫」とかも、そう言われても・・・ですよね。

「自分の家族も(あるいは自分自身も)同じ病気をしたからよく分かる」とか言いますが、それもどうかしら・・・と思います。
病名が同じでも、タイプも重症度も、施されている治療も違います、予後も違いますよね。違う人に起こっているんですもの。

みんな、自分の気持ちでやりますね。
“よかれと思って” なんですよね。

でも、”善いことをして気持ちよくなりたい自分” が送り付ける何か・・・
それが相手にとっての癒しや励ましになることは・・・・・・?

もちろん、すごく力になれて喜ばれることもあるでしょう。

だけど、お見舞いや激励をしたい、自分がよいと思ったものを受け取ってもらいたい、と思ったときは、
差し出す相手(病気で弱っているわけです…)が困らないか、負担にならないか、
分からないながらも相手の状況や気持ちを最大限想像して、そっと、優しく、届けたいと思います。

 

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