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宮沢和史さんの「島唄」のお話

昨日の朝日新聞に『「沖縄」を考える  /  島唄 三線弾けなかった一節』という記事のタイトルが目に留まりました。
ざっとしか目を通さない新聞ですが、「沖縄」の文字は飛び込んで来るんですね。

元 THE BOOM の宮本和史さん の、インタビュー記事でした。

宮沢さんの母方のお祖父さんは硫黄島で戦死されているそうです。その娘である宮沢さんのお母さんは、宮沢さんが子どもの頃、8月15日が近づくと放送される戦争の特集番組を見ては怒りや悲しみをテレビに向かってつぶやいていたそうですが、お母さんの怒りの矛先が、敵国ではなく「日本」であることを知り、気になっていたとのこと。
その後20代となった宮沢さんは、音楽への興味から通うようになった沖縄で、島民の4人に1人が亡くなった沖縄戦という日本の歴史を知り(20年以上も生きてきてそのことを知らなかったことを恥じ)、自分にできることは歌しかない、と考えて「島唄」を作ったそうです。

「島唄」のなかに、こんな歌詞があります。

「ウージの森で あなたと出会い ウージの森で 千代にさよなら」

これは、ウージの森(サトウキビ畑)を走り回っていた幼なじみの男女が、地下のガマ(洞窟)で互いに殺し合った、というお話なのだそうです。
「島唄」は、琉球音階(レとラを使わない)をベースに作られている曲ですが、宮沢さんは、この部分だけは、琉球音階ではなく西洋音階で作っています。
これは「琉球音階は使えなかった、三線は弾けなかった」「なぜなら「日本」が彼や彼女を死に追いやったと知ったから」というのが理由だと記事にありました。
私は、以前からこの部分だけメロディーの調子が変わること(沖縄の音階でなくなること)には気づいていて、なんともいえない もの悲しさを感じていましたが、そういうわけだったのか・・・と今回記事を読んで知りました。

記事にはまた、「沖縄の人たちの怒りの中心に在るのは、尊厳の問題なんだと感じています」という宮沢さんの言葉がありました。沖縄の人々の尊厳に対する敬いや配慮が足りない、と。
ひどく共感しました。

宮沢さんは、遠回りでも地味でも、自分と関わった人が沖縄について、平和について、何か気づいたり考えたりするような活動を続けていきたい、ということで、その一つとして、三線の竿の材料になるリュウキュウコクタンを沖縄で育てる活動を始めたそう。
それが育つ100~200年後には、今生きている自分たちは誰も生きていないけれど、「その育てた木で三線が作られるなら、その間は戦争が起きなかったことになります」と記事は結ばれていました。

昨日から「島唄」の「ウージの森であなたと出会い・・・」が、頭の中で繰り返し再生されています。

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