離婚の意思を固めたものの、その、離婚したいと思う理由の説明が(奥様に対して)できない、とお困りの男性がありました。
他に好きな人ができたとか、何か一緒に居られない特別な事情ができたとか、そういうことならそのことを、誠意を持って伝えるのだけれど、そうではないのだ、と。
その方は物静かで思慮深く、とても優しい男性でした。
結婚されてから徐々に・・・とおっしゃる「奥様の変化」を、辛抱強く受け入れたり流したりを続けて来られたことが、よく分かりました。
でももう、どう努力してもやっていかれそうもない、自分の心を殺せば、まだ少しやっていかれるかもしれないが、それはしたくない、ということでした。
実際、その方の描いている未来の画像には、奥様は出てこないようでした。
ご本人は、長らくコミュニケーション不足であったことを反省されていましたが、私が感じるに奥様は、その方の望むレベルの会話に応じる力を備えていない・・・簡単に言うと幼い方なので、どう心を尽くして話をしても伝わらないと思いましたし、そのことそのものが、もう一緒に居られない理由なのだと思いましたので、そんなお話をしました。
たとえば、
思い出の品を勝手に処分されるとか、
家族や友人を批判したり貶したりされるとか、
大切にしているバッグでハエを叩かれるとか、
愛読書を鍋敷き代わりにされるとか・・・
そういうことを、日常的に、される。
その度に、自分の大事な何かが、萎む・・・。
こういうのって、いつ頃からだっけ・・・。
“そんなことぐらいで・・・” と言う人もいるだろうなと思う些細なことが積み重なって、気づいたら、彼女と一緒に歩いて行こうという意思が死に絶えていることに気づいてしまった、とその方は言いました。
でも私は、そういうことが貴方にとっては “そんなこと” ではないのだ、ということを否定しないでほしいと言いました。
自分が大切にしているものや人を大切にできない人に、柔らかい優しい自分を差し出したら、それはだんだんと擦り減るし、弱りますよ。
どこまでも優しくて、せめて最後に奥様に贈れるものは?と考えていらっしゃいましたが、私には、その誠実さだけで十分、と思われました。
「大切な人だけど、好きではなくなってしまったんです・・・」という言葉が印象的でした。
好きか好きじゃないかなんて、大切かどうか、愛しているかどうか と比べたら “軽い” と感じる人もいるでしょうが、私はそう思いません。
相手がどうであれ相手を大切にしてきたのは、その人の持つ愛の深さ、器の大きさであり、自分の妻なんだから大切に思う、大切にする、というのはその人の人間性、真っ当さでもある。その人はきっと、どんな人でも自分が縁した人なら大切にするでしょう。
でも、好きか好きじゃないか・・・これは純粋でシンプルな感覚。
そう思うからです。
その方くらい静かにしっかり考えて来た人が「好きではなくなってしまった」というのは、もうどうしようもないこと、決定的なのだと思いました。
どうでしょう。
あなたはパートナーを、大切に思うし、好き、ですか・・・?
パートナーはあなたを、大切に思っていて、そして、好き、でしょうか・・・?
(※このお話は、ご本人の了解をいただいて扱わせていただきました。)
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