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欲しいのは同情でなく共感

このところ、階下に住む母(初期の認知症、身体的には全く問題なし)に、お金の管理のことで うんざりさせられていました。
不要な買い物をしたり、持って行ってはいけないと言い聞かせてもデイサービスへこっそり財布を持って行き、お金が失くなったと言ってちょっと騒ぎを起こしたり、毎日渡しているお金をどこかに隠しては娘にお金を盗られたと訴えてみたり・・・

私としては、出来る工夫は全てしているつもりだし、とにかくこれは認知症の症状なのだと自分に言って聞かせてはいるのですが、毎日毎日、お金をあっちへやりこっちへやり、そして失くしてしまうので、さすがに私もイラつき、あぁやってられない・・・と。
ときどきプツリとキレて「毎日朝晩、同じこと言ってるよ? もう100回言ってる!」と声を荒げたり、「お願いだからしっかりしてちょうだい」と懇願して項垂れたり・・・、相当疲れてしまっていました。

同居の主人と娘はドライですからキッパリな(非情な?)ことしか言いませんし、同じ市内にいる妹たちにもときどき様子をLINEで知らせますが、「私ならもっと怒っちゃう」とか「今度刺激与えに行くよ」などと返信してくれるものの、伝わってくるのは、他人事なんだなぁ・・・ということです。
もちろん、ほんとに困り果てて相談したら、少し助けなきゃと思ってくれるでしょうけれど、とりあえず “関係ない” 立場です。現状を伝えるLINEの返事の文に「笑笑」がついてたり・・・(笑えないよ私は、と思いますね)。
もういいや、誰も助けちゃくれない、担当者は私ひとり、ということなんだなぁ・・・、と溜息つくしかないのでした。

それが昨日のこと、ケアマネさんが月イチで訪問してくれる日だったのですが、さすがはプロ、しかも経験豊富なベテランです、母の状態を見て、私の話を聴くと、母ではなく私が どれだけ困っているかを察し、私に寄り添う言葉を十分にくれたんですね。お仕事とはいえ、ほんとに心を込めて、的確でした。
また、夜になってから、私を心配してメッセージをくれました、家に帰ってからも気になってしまって・・・と。
別に、何か策をくれたわけではないし、現状はきっと何も変わらないんでしょうけれど、そのことによって、どれだけ私の気持ちは助けられ、ほっとして、元気になったか・・・。

日頃私はお客様のご相談に乗る立場ですが、改めて思いました。
同情と共感って、ほんとに違う、と。

同情というのは、自分の立っている場所から自分の目線で、理解すること。
共感というのは、相手の目線、相手の立場で、心を最大限使って理解しようとすること。

困っている人が欲しいのは、同情ではなくて、共感なのだ、と、実感した話でした。

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