私がまだ青山一丁目で相談室をやっていた6年ほど前からのお付き合いになる、Rさんという30代女性のお客様がいます。
初めは恋愛のご相談で来られたのですが、それ以降、お仕事のお悩み、育った環境、ご両親のことなど、たくさんのお話をしてくださっています。
昨年から辛い時期に入っていて、お仕事も辞めご実家に身を寄せている状況で、鬱がうんと辛いときは zoom でのお話も難しかったですが、今はぼちぼち、ご自宅から繋いでもらい、お話ししています。
Rさんは聡明で真面目で、ご自身に対する問題意識がとても高いのですが、湖に小さな波紋を見つけると、息を凝らしてその様子を見つめ続ける・・・というような時間ができます。ご自分であえて波風を立ててみる・・・ということもします。
とても繊細で、相当な本格派なのです。立ち会っている私の方も、自分の内的な感覚が深まっていくようです。
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昨日、ひと月ぶりにお話ししたRさんは、いくつか変化があったから聞いてほしいとおっしゃって、ご自分とご両親との間に長らく存在していた(・・・でも、動かせないから “無い” ことにしていた・・・)「岩の壁」について、語ってくれました。
そして、思いがけないお母様の優しい言葉(・・・それは、「とても珍しい、いやたぶん初めての、娘の私を気遣い、味方してくれる言葉」だったとのこと)を、受け取って、それが自分には、自分でも驚くくらい大きなものになった気がしている、とのことでした。
私からみると、お母様がRさんの味方をする言葉をかけてくれた・・・という 初めての(!)出来事は、Rさんが「どんなに気に入らない状況でも、情けなくていやになっちゃうとしても、絶対に自分をディスらない」という、私と交わした約束を守ってきたからだし、Rさんが、どんなときも自分は自分の味方でいる、と決めて、辛い時間を “一緒に” 過ごしてきたからだ、ということがわかります。
自分が自分の味方でいられるようになったら、お母さんも味方をしてくれた。
自分が自分の味方でいられるようになったら、遠ざかってしまったと思っていた友人が、じつはずっと心を寄せ気遣っていてくれたことを知った。
他人は自分という人間を映して見せてくれるのもなんだ、という、改めての気づきを得たというRさん、瞳に新たな力強さを見たと感じました。
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私自身も「自分が自分の味方でいる」は、以前は難しかったです。
ふつうの健康な人には容易いこと、当たり前のことかもしれないけれど、自分には難しかった。
でも、傷ついたまま弱っている小さな自分の手当てもせず、無きものとしているようでは、人生虚ろなままなんだ、人生始まらないんだ、と分かってからは、この「自分が自分の味方でいる」は相当しつこく心掛けてきました。
今思うと、あの練習は、重要な必修項目だったなと思っています。
自分より相手の立場、欲求、気持ち、機嫌・・・を優先してしまう、という人には是非、考えてみてほしいことのひとつです。
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