BLOG

深いところの欲求は、みな同じ

日々お客様のご相談に乗っていると、それは本当に、その方独自の、固有のもので、ときには、あっと驚く特殊なものであったりするのですが、でも同時に、人が心の底に持っている「欲求」というのは、みな同じだ、と感じます。

人の欲求はみな同じ、などと言うと、そんなことはないだろう、と言われそうですが、人の心を深く深く見ていくと、底の方にはやはり、同じものがあるのだとわかります。表層、表面に近づけば近づくほど、その様子、状態はまちまちなのだ、と。

たとえば「自分という人間を肯定してほしい」「誰かと繋がっていたい」「ありのままを理解されたい」「成長したい」などの欲求ですが、そんな欲求は持っていません、という人はいないでしょう。
もちろん、長いこと孤独だったり、誰にも受け入れられていないと感じていたり、何をやっても失敗ばかりだ、という経験が重なり過ぎていたりして、それらの欲求を持つことを諦めていたり、存在そのものに蓋をして無いものとして生きていたり・・・という人はいるでしょうが、よく見て探っていくとやっぱり、人間の基本的な欲求はみんな同じ、だということが解ります。同じではないのは(個人差が出るのは)、それらの欲求の満たし方、なのだと思います。

以前、さすがにそれはちょっとまずいですね、何とかしましょう、それは日本の国では犯罪です、と言わざるを得ないお悩みで来られた方がいました。詳しくは書けませんが、とにかく “とんでもないこと” に執着している人でした。
でも、その人が満たしたくて苦しんでいる「欲求」は、ごく普通のものでした。

またたとえば、不倫のお話も、日常生活が破綻しそうなほど のめりこんでしまう何かも、繰り返してしまう人間関係のトラブルも、どれも、その人固有の特別な問題であると同時に、「満たされなくて苦しんでいる『欲求』」というレベルで見たら、とても普遍的なもの、ということになるのです。

私はご相談を受けながら、そのお話の中にある固有性、特殊性を何より大切にしますが、その一方では、そのお話の普遍性(普遍的な欲求)という面も見ています。行ったり来たり、両方、見ています。
(どちらか一方の面しか見られないのは、相談を受ける者として、まずいです。「そんな特殊な話、私には理解できないなぁ」で終わってしまうのもだめだし、逆に「あーそれ知ってる。わかる」「誰だってそんなものですよ」も、だめなわけで。)

いつも思うのは、人は本当に様々で個性的で無二の人生を送っているけれど、深く見て辿っていくと《同根》なのだな、ということです。
そんなふうに見ている私なので、深刻になっているご相談者さんには、その方にとっての最善の対処の仕方、解決の道を、懸命に探りつつ、一方では、焦ることはないし絶望することはない、安心して「今ここ」を全力で体験したらいい、ということを、あの手この手で(!)伝えるのだと思います。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP