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捻挫して、反射的に思ったこと

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ネットの記事で、バレーボール元全日本代表選手だった益子直美さんの『私はバレーボールが嫌いだった。50歳で心房細動が見つかって気づいた、選手時代からのストレス』を読みました。
益子さんが「監督が怒ってはいけないルール」の小学生バレーの大会をやってらっしゃることは以前テレビの特集で拝見しましたが、心臓の病気をされたことが、自分のストレスと向き合い様々なお勉強を始めるきっかけになった、というのは今回の記事で初めて知りました。

私の以前のブログから読んでくださっている方は、何度か書いているのでご存じかと思いますが、私の10代もバレーボール漬けでした。
今はあまり無いことでしょうが、当時は、監督に怒鳴られたり叩かれたりするのは当たり前の時代でしたし、私の場合は、父親もまたバレーバールの指導者であったので、学校でも家庭でも気持ちを休める場所がなく、ほんとにほんとに心身ギリギリのところで頑張っていました。この「私のバレーボール時代」はその後、自身が心理療法を受けるようになったとき、真っ先に、そして重大なテーマとして扱うことになります。

益子さんも記事中で「怒られたくない一心で頑張って」いたとおっしゃっていましたが、それそれ!と共感しました。
いつもいつも監督の機嫌をうかがい、失敗して叩かれることや恫喝されること、失望されることが怖くて怖くて、それを回避できるよう頑張っていました。あれじゃあスポーツの喜びなど体験できるはずはなかったですね。
あの頃の自分は、「いやならやめればいい」を知らなかったんですよね。だから本気で、大ケガしないかな、大病したいな、と思っていました。そうは言っても、突き指とか捻挫とか、小さなケガをしてしまったときは、必死に隠してプレーしていましたね、監督になじられてしまうので…。ばかみたいなんだけど。

幸い、身長が伸びなかったのと、高校時代に父親と断絶する覚悟をしてバレーボールをやめると決めたことで、バレーを離れることはできましたが、その後二度と、バレーボールもその他のスポーツも、楽しむ人間には戻れませんでしたね。そのことは、私の人生のちょっとした心残り、かな。

でも、いま思っても、あのやり方でしか、自分に「別の道」を用意してあげることはできなかったなぁ…とは思います。
私は中学校時代、強豪校で “上手い良い選手” として活躍してしまったので、7校だったかな?の高校からスカウトされたり、陸上競技の方でも、当時は埼玉県で優勝したランナーより速く走れたり…、とにかく身体能力が高くて有名だったので、「今後一切、何のスポーツもしません」という宣言とその実行には、相当な覚悟と気合いが必要でした。
実際、周囲の人を驚かせたし、関係者を落胆させたし、何より父親がその後、病気ばかりして、二度と健康な体を取り戻すことはなかったので、長いこと罪悪感に苦しむことになりましたね…。

益子さんは、ご自分はバレーボールが嫌いになってやめてしまったけれど、バレーがなければここまで成長できなかった、と言ってらっしゃいました。
私も、とにかくあのバレーボール時代があるから、親子関係のこと、子どもが育つ家庭のこと、自分の能力、才能を自分が見つけて生かしていくということなど、本当に様々なことに、後々、一大事業として取り組んで、成長できたのだと思っています。やはり、心身ともにギリギリ、という体験、特に肉体的に追い詰められての体験というのは、大きいです。傷ともいえるし、確かな糧にもなります。

しかし…、「自分のせいで試合に負ける夢」「思ったようにプレーができなくて苦しむ夢」を見なくなったのなんて、ここ5年くらいのことなんですよ。ほんと、どんだけぇぇぇ?です。
実は先週、ホームセンターの階段で転んで(歩きスマホはだめですね)、”両足” を捻挫したんです。両足ですよ、なさけない。
今も完治はしていなくて不自由なのですが、その捻挫をしたとき反射的に、まずい!治るのに何日かかるだろうか、とバレーボール選手時代の思考になってしまい、その後、ああ、そうだ、ゆっくり治していいんだ、痛みは隠さず堂々と痛がっていいんだ、と気づいて、苦笑してしまいました。

そんなわけで、似合わない ゆったりのんびり な毎日になっております。

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