BLOG

なんでもかんでも「私のせい」「私が悪い」と思ってしまう

*「対面セッション休止」延長のお知らせ*
7月21日(水)より 銀座での対面セッションを休止してまいりましたが、新型コロナ感染症の流行の状況を考慮し、引き続き「対面セッションは休止」とさせていただきます。
当面はオンライン・セッションもしくはメール相談をご利用ください。
再開を決めました際にはまたお知らせいたします。ご不便をおかけしますが宜しくお願いいたします。
ご質問等ございましたら、お気軽にメールにてご連絡くださいませ。

相手にとっての悪い出来事……、”相手” どころか、直接関係ない誰かにとってのトラブルや不運や、それによって抱く感情まで、とにかくなんでもかんでも「私のせいかもしれない」「私が悪いんだ」と考えてしまうクセを持った人がいます。少なくありません。

お話を聞いてみるとそういう人は、ほぼ全員に共通していることがあります。
それは、子どもの頃に「親に自分の気持ち、特に悔しい気持ちとか悲しい気持ちを、受け止めてもらっていない。理解してもらっていない」ということです。

かくいう私もそうでしたが、そういった、辛い「ナマの気持ち」をその時にそのまま味わうことができず、どう扱っていいかわからず、胸の奥に抑え込んでしまう…ということを繰り返していると、とかく、辛い感情に向き合えなくなる、鈍感になる、ということになっていきます。
また、人との間に「健全な境界線」を引けない状態が続くので(中から外へ「出す」ということをせずに、外から中へ流れ込んで来るものを「入れてしまう」一方なので)、
「これは誰に起こっている出来事なんだ?」「これは誰の感情なんだ?私のもの?他人のもの?」ということが、わからないままになります。

そんな環境で、他人のものを受け止めるばかりで、自分のものは「無かったこと」にして、混乱したまま、自分の気持ちを大切に取り扱うことを知らぬまま大きくなれば……
冒頭の、「なんでもかんでも自分のせい」だということにしてしまう人、になることもある、とわかるでしょう。

この、なんでもかんでも「きっと私が悪いんだ」は、やむをえずつけてしまった「感じグセ」「思いグセ」……「クセ」ですから、まずは「クセ」なんだと気づくことです。かつての生存戦略ですが、もう不要なのです。

よくお話しすることですが、感情に良いも悪いもない、です。
すべて自然に生まれたもので、ありのままに感じ切ってサヨナラするべきものです。溜めずに、そのときに素直に感じる。感じ切る。
これが出来ない環境にあったことに、困難はたくさんあったと思いますが、でも、大人になった今は、もう出来る。
まず、それが出来るようにしましょう。そうじゃないと、私の人生始まらない、と思って。

「自分は悪くなかったんだ」ということに気づき、「私は私で、あなたはあなた」ということを理解すると、ガゼン、世界は広がります。縮こまってイジケていた私はお終い。
「じつは、自分が手足を伸ばしさえすれば繋がっていけたものというのが、ずっと前からこんなにたくさんあったんだ!」ということがわかるようになります。
そこがわかると人生は大きく変わるでしょう。ほんとに大事なところなのです。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP