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心に「開かずの間」を持っていた先輩の話

高校時代の部活の先輩の話です。
その部活というのは合唱部でした。合唱部といっても体育会系の雰囲気があり、厳しい内容の練習を積んで全国大会で入賞することを目指す…というような部でしたので、部員同士の関係、先輩後輩の関係は、とても濃いものだったのですが、
同じソプラノパートだったその先輩に、なぜか私は気に入られて、毎日の部活動の時間以外、放課後や休日にも、誘われて一緒に出掛けたり、その先輩のお家に招かれたり…という関係になっていました。

その先輩はエキセントリックな雰囲気の美人で、ピアノがとても上手で(合唱部の部員は大抵ピアノが弾けましたが、彼女は際立って上手でした)後輩たちみんなの憧れの人でしたから、私は、先輩から目を掛けられ可愛がられていることを、ちょっと誇らしく思っていましたが、でも同時に直感で、 “怖い” とも感じていました。

その「怖さ」は、先輩のお宅を訪問する度に味わうことになりました。
先輩の住むお屋敷はとても大きくて立派な洋館でしたが(いかにも…でした、横溝正史の小説の舞台のような…)、その造りはひどく複雑で、地下室もあって、そこには “誰か” が一日中いたりして…、先輩にとっては自宅なのに、緊張感の感じられる振舞いを見せることがあるのが、とにかく奇妙でした。
この家には、秘密というか深い闇みたいなものがあるんじゃないか、とも感じました。

先輩は、私を家に招いているにもかかわらず、中座して長時間どこかへ行ってしまったきりになったり、長いピアノ曲を弾き終えると違う人のようになっていることがあったり、突然、もう帰ってくれと言うこともありました。
トイレを借りて廊下に出たら、中座していた先輩がいて、確かに目が合ったのに何故か知らない人を見るような顔をして無言で立ち去られた…ということもありました。
とにかく、何かのきっかけで、先輩が学校での先輩と違う人になってしまうことが度々あるので、私は困ってしまうのでした。

またある時など、招かれて行ったのに呼び鈴を押しても応答が無いので、近くの公衆電話から連絡してみたら、電話に出たご家族(?)から「出掛けていて居ない」と聞かされ、仕方なく帰ることにして駅へ向かって歩いていたら、飲み屋街の路地で、別人のような派手な服装をしてお化粧をしてウイッグまで被っている姿を見かけた…、などということがありました。
ガラの悪い大人たちと一緒にいて、私を一瞥するも無視して行ってしまったのですが、人違いではなくて、もう本当にびっくりしてしまいました。
翌日学校で会うと、先輩はいつもの先輩で、でも前日の私との約束も、道でバッタリ会ったことも、全く無かったことになっているので、私は、一体なんなんだろう、おかしいな…と思ったものの、何も言えませんでした。すごく怖かったのです。

・・・ということや、約束を破られるということが何度かあって私は、「先輩は嘘つきだ」「二面性がある」「情緒に問題がある」「家庭に大きな秘密がありそう」「もう関わりたくない」と思うようになり、今後は誘われてもやんわり断ろうと決めたのですが、その後先輩と会うことは二度とありませんでした。
欠席が続いているなぁ…と思っていたところ「どうも精神系の病院に入院したらしい」という話が入ってきて、ほどなくして学校を退学してしまったからです。

彼女のことは、今でもときどき思います。
特に、お客様のつらいトラウマ体験をお聞きした時などは、思い出します。

高校生だった当時の私は先輩のことを「嘘つきだ」「二面性がある」「変な人だ」と捉えるしかありませんでしたが、今では、あれが何だったのか、なんとなくわかるのです。
あの頃私が体験した幾つかの妙な出来事と、あのお屋敷に住む先輩一家がその後不幸な形で離散したらしいという話を合わせて考えると、先輩があの家の中でどんな目に遭っていたのか、どんな思いをしていたのか、何ゆえあのような状態を私に見せていたのか、察しがつくのです。

先輩のあの意味不明な言動の数々は「解離」によるものだったのだろう、と今では思っています。

解離のある人の健忘は、自分の言動、人間関係など、忘れるはずのないものを覚えていません。あるいは、スパッと記憶の抜け落ちた時間帯や日時がある、といいますが、先輩の記憶の無くし方や、ひとりの人間の仕業とは思えないあれこれは、先輩のなかに記憶を共有していない2人以上の人がいた、と考えると合点がいくのです。

そういえば、20年以上前に『存在の深き眠り』という多重人格を扱ったドラマがありました。
ジェームズ三木さんの脚本、大竹しのぶさんが多重人格の女性を演じた作品でしたが、その作品を見た時、私は真っ先に先輩のことを思い出し、あのおかしな言動は「解離性の記憶障害」または「多重人格」ということだったのか…と思い、改めてショックを受けたものです。

人は、受け止めきれない強いトラウマ記憶は、脳の中で冷凍し、それを日常の記憶の保管場所と違う場所にしまい込む、と言われます。いつもの自分とは壁で隔てられた冷凍庫に厳重にしまい込む…というやり方をとって身を守ろうとする脳の働きなのだと思います。
先輩のあの状態が、病的なもの、障害として診断される「解離」であったかどうかは勿論わかりません。
でも、先輩はおそらく幼い頃から、あの家の中で、自分の身に起こったこととして抱えることが困難なレベルの(=別の人格を作って “その人” に背負わせるしかない)酷いことをされていたということ、そしてある時点で心が決壊して病気になってしまったということは事実だったと思います。
私はその “現場” になっていたあのお屋敷のなかへ何度か入れてもらい、そのことは先輩の心の「開かずの間」すれすれの場所を案内されたことだったのだと思うと、とても切ない気持ちになります。

長くなりました。
私がこれまでに出会った唯一の、明らかに解離のある人の話でした。

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