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傷はもともと付いていたはず

最近あった幾つかのご相談から・・・。

具体的に何かされて迷惑を被っているわけではないのに、実害はないのに、「その人のすることが、いちいち癇に障る」「なぜか顔を見ると不快になる」「正直、いなくなってほしい…」などと思ってしまう、気にしなければいいと思うのに、そうはいかない・・・。
そんなお話を、最近幾つか伺いました。

職場でもご近所づきあいでも、”イヤなら遠ざかる” のは簡単ではないでしょうから、ほんとに憂鬱だろうと思います。相手に、明らかに問題がある、間違っている、ということなら、先ずはその問題を解決することに注げるから まだよいのでしょうが、”なぜかわからないけど” “なんとなく” では、どうすることもできない・・・。

そんなときは、その相手に対して使っているエネルギーの多さを、考えてみるとよいと思います。
相当使っているけど使い甲斐はないはずで、相当疲れているけど疲れ甲斐がないはずです。
・・・そうと分かったら強制的に、そのムダ遣いは やめる、と決めてみる。それが一番です。

そういう相手が自分に見せているもの、感じさせているものというのは、往々にして自分が見ないようにしてきた部分や無かったことにしてきた古傷に触れられている、ということが多いです。
無いことにしてきたものなので、それが自分の中にあるんですよ、と言われても、なかなか認めたくないものですが、その人が鏡となって見せてくれている、と思うしかありません。

人は、自分の中に無いものを、他人の中に見ることはありません。
また、取り扱えないものを感じ取ることもありません。取り扱って解決できるものになっているからこそ、意識の浅い層に上っているはずなのです。

そう考えて、なんとなくその相手を見てモヤモヤと嫌な気持ちになるとか何か脅かされている気持ちになってしまうなどというときは、自分はその相手に “自分の中にある” 何を見せられているんだろう、 “自分の中にある” どんな古傷を刺激されているんだろう、と、自分の心の方に意識を向けてみてください。相手をどうこうしようとするのでなく。

「相手をどうこうしようとする」・・・。相手の非を探し出してそれを理由に攻撃する、ほんのり意地悪をする、逆に、視界から消そうとする、逃げ回る・・・、それらはどれも、きっとうまくいきません。

「その人は、私が未だに痛む古傷の場所、古傷のカタチを、さりげなく教えてくれているんだなぁ…」と認めて、「自分はどういうことで傷ついていたのだっけ…」と、優しくご自分の心をのぞき込んであげてください。
そんな意識になることを受け入れて、相手ではなく自分を見て、そして手当てをしてあげることができると、その相手(鏡になってくれていた人)のことは、気にならなくなります。

それは、癒された証し、です。

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