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自分に自信がもてない訳

「私は自分に自信がありません」とおっしゃる方とお話ししていると、ああ この方も「いつも、いい子で いた」のだなぁと思います。私自身が「いつも、いい子」で、恐ろしく自分に自信のない人間だったから、よく分かります。

自分に自信が持てない理由の大きなものの一つは「幼い頃からいつもいい子でいたから」です。これは確かなことです。

幼い頃から何でも自分の思った通りにやっていた、とか、親の言うことなどちっとも聞かない 悪たれ だった、とかいう人は、個別の何かに自信がない、ということはあっても(たとえば、速く走る自信はない、とか、美しい字を書けと言われても自信がない、とか、そういうことはあっても)、「自分に自信がない」とはなりません。

「いつもいい子でいた」というのがどういうことかというと、「いい子でなければ愛されないと思っていた」ということです。ひとつ前の記事にも書きましたが、「いい子じゃないと見捨てられる」「いい子じゃない私には価値がない」と幼い頃に強く思ってしまった、ということ、親、養育者の愛情に安心していなかった、ということです。

「いい子」は自分の気持ち、自分の意思を捨てて(そんなものに価値などない、ということにして)、相手に喜ばれることをします。
「相手」というのは、まずは親ですが、家の外に出て行くようになると、重要と思った他人すべてに対して、喜ばれることをしようとします。嫌われるようなことは避けます。他人の顔色、他人の反応が全てです。

人様に喜ばれることをすることの何がいけないんだ?
そういう良い行いや たゆまぬ努力を重ねていけば「自信」など自然についていくんじゃないか?
と思うかもしれませんが、そうではありません。
自分の気持ち、自分の意思を大事に扱わず蔑ろにして、他人の反応ばかりを気にして振る舞い続けたら、必ず自分を見失います。
自分を見失っている人が、自分に自信をもてるはずがないのです。自分の好きなものも よく分からない、ということもあるでしょう。

だから、そのように理解できたらとにかく、自分は今どう感じているんだろう、何が不快で何が心地よいんだろう、されて嫌なことは何だろう、嬉しいことはどんなことだろう、何をするのが楽しくてどういうことがつまらないんだろう…と、いちいち自分に訊く練習をしてほしいと思います、それが当たり前のこととして身につくまで。
初めは驚くと思います。いかに自分が、自分ではなく他人の反応を気にして生きてきたかを思い知って。

自分を尊重する、ということを自分と約束して、それを忘れずに過ごしてみましょう。
そうしたら、たとえ問題が起きても失敗をしても、自分の生活や人生に「これでいいんだ」という感覚、手応えがやってきます。

その、百点満点ではないけれど これでいい、これが私なんだ、というのが、「自分に自信を持っている」ということなんですよね。

「私はこの私でいいんだ」という自分への信頼を得たところからが、いよいよ “本章” の始まり。面白くなっていくと思います。

 

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