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怒りエネルギーは願望に向かうときの燃料になる

「怒りの “矛先”」という表現があります。
「怒りを ”どこへ” ぶつけていいやら…」とか。
怒りというのが、どこかへ向かいたがる、攻撃的なエネルギーだ、ということは、多くの人が分かっていることですね。

怒りという感情は、発生したときに直ぐに適切に使うなら、自分自身の欲求、願望を叶えていくことに使える ポジティブなエネルギーとも言えるのです。強くて、積極的な、エネルギーです。

「強い」ものですから、他人に浴びせて迷惑を掛けたり傷を負わせたり、物を毀損したり…ということにもなるので、怒りは その取扱いは難しく、嫌われる感情でもあります。一般的に日本人は、 あるいは “都会的で洗練された人たち” は、どちらかというと管理し過ぎ、抑圧し過ぎ…のように思いますが…。

嫌われがちな感情…とはいえ、発生してしまったら “管理” しきれるものではないし、うまく抑圧しておいたとしてもそれは単に抑圧して保管しているに過ぎず、いつの間にか無くなっている…ということにはなりません。
溜まって、溜まって、溜まって…、溜めておく器にも限界がありますから、何かをきっかけに、ドッカーン!といくわけです。事件を起こしてしまう人のことをよく「いつもは大人しい人」「とてもあんなことをするような人には見えない」などと言いますよね。上手にリリースできないと、ある時どうしても、ドッカーン!の時を迎えてしまうのです。当然です。

また、常に不機嫌そうな、なんとなく陰気な感じのする、スカッとした顔や佇まいが出来ない人…というのもいます。
相当我慢強く、大小さまざまな怒りを溜め込んでいるか、心にモヤモヤとしたものを抱える傾向を持っていて、それを晴らすことをしていない…ということでしょう。

上に、怒りは自分の欲求や願望を叶えていくのに使えるエネルギーだと書きましたが、
怒りは、あれが欲しい!、こういうことをやってみたい!という時に、そこへ向かうための「燃料」として使うことができるのです。
だから逆に言うと、常に機嫌が悪い、暗い、怒りっぽい感じの人というのは大抵、自分の欲求や願望を、理解していないか抑え込んでいるか禁じているから、怒りエネルギーという燃料が、心身に過剰に溜め込まれているせいで重苦しい状態です。それを常態としているから、なんとなく陰鬱なかんじがします。
そんなふうだと、ご本人はなんとなく苦しいものだし、周りの人も、なんとなく避けたい気持ちになりますよね。
みんなにとって、幸せなことではないです。

怒りというのは、素直に感じて適切に表現して、その都度流しきる癖をつけるのが一番なのです。

自分がどうしてそれに対して怒りを感じるのか…と考えてみたら、それ(怒りの対象)は必ず、自分の欲しいものやこうありたいという状態に到達するのを妨げているものです。
だから、いつもモヤモヤとイラついているとしたら、その願望達成の邪魔になっているもの(ほんとなら怒るはずのもの)に対して自分は弱すぎるとか資格や価値がないなどと思っているせいで、適切に怒りエネルギーを使えていないか、それどころか、自分が自分の欲しいものを分かっていない、という状態といえるでしょう。

せっかくの燃料です。
誰かや何かを傷付ける使い方をせず、心の中に溜め込んでおくこともせず、自分の望みに向かっていくときのパワーに換えて、活用しましょう。

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