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「その全てを本当として捉えることは難しいですか?」~映画『ドライブ・マイ・カー』

映画『ドライブ・マイ・カー』。
3時間の映画を劇場で観るのは、私にとって なかなか大変なことなので諦めていたのですが、週末、アマプラで観ることができました。

この映画は、カンヌ国際映画祭でも評価された脚本はもちろんですが、なんといっても “寡黙なドライバー” 役の三浦透子さんが素晴らしかったです。彼女なしでは無理な映画だったのでは?と思えたほどでした。
以前から、この女優さん凄いな、と思って見ていた方ですが、撮影当時24歳?と驚きました。自然で、堂々としていて、ぶっきらぼうなのに「聖母感」を出す、などという女優を、私は他に思いつきません。

物語は、愛する妻に、ある秘密を残したままこの世を去られてしまった主人公の男・家福(演出家で俳優、演:西島秀俊さん)が、自身の専属ドライバーになった みさき という名の若い女性(三浦透子さん)と出会い、話をしていくなかで、それまで向き合えていなかったことがあったことに気づき、苛まれてきた罪悪感や喪失感を捉え直し、そして、動き出す…、というお話です。

映画の後半、みさきに語る家福の告白(亡くなった妻とは愛し合い満ち足りた生活を送っていた(はずだ)ということ、でも妻は、複数の男と肉体関係を持っていたことを自分は知っていて、でも問い質し怒ることをしなかった…という話)があるのですが、
家福は、妻が急逝した当日、帰宅したら話がある、と告げられていたのに、「決意を感じ」た妻のその言葉に、「同じ僕たちではいられなくなる」ことが怖くて、なかなか帰宅できなかった…と打ち明けます(彼は、遅くに やっと帰宅したところで、倒れている妻を発見します)。
家福は、妻の話に耳を傾けられなかったこと、そんな強い自分ではなかったことに大きな後悔を抱えているし、”妻の秘密” ”妻の心の闇” を明らかにできなかったことを思うと、本当に自分は妻から愛されていたのだろうか…と疑う気持ちに覆われてしまって苦しい…そんな告白をしたわけですが、
それに対して、家福にとっては娘と言っていい年齢の “寡黙な専属ドライバー・みさき” は、こう言うのです。

「家福さんは、音さんのことを、その全てを、本当として捉えることは難しいですか?
音さんには何の謎もないんじゃないですか? ただ単にそういう人だったと思うことは難しいですか?
家福さんを心から愛したことも、他の男性を限りなく求めたことも、何の嘘も矛盾もないように、私には思えるんです。・・・おかしいですか?」

自身もまた、秘めた過去、重い生い立ちを抱えて来た みさき の、静かで迫力のあるセリフでした。
私は最近、このこと(”どちらも本当” “全てが本当” なのだ、という話)を、何度か噛みしめる機会があったので、「おっ!また来た!」と思い、よけい沁みました。

「圧巻のラスト20分」と、映画の公式サイトにありましたが、それぞれが大切な人を失って傷ついている、親子ほど年の離れた家福と みさき の 心の中に起きた癒し、そして再生のはじまり…、それを描いたラストは とてもよかった。
人は、己の手に余るほどの辛すぎる体験をすると、その出来事に必ずしも正しくはない解釈を与えて、それに囚われて動けなくなる…ということになるのだけれど、そこに、信じられる誰かが風を吹き込んでくれると、力を取り戻す。そしてそれは、再び前に歩き出す力になる…。そのことを思わせてくれるラストでした。

生きている私たちはみな、自分の車を、運転していく。

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