数日前、映画館にて、うんざりすることがありました。
離れた席に座っていた二人組の女性(70代くらい)が、映画中2時間、ずーーーっと、話をしていたのです。
ときどきこそこそっと会話する人・・・というのはいますが、ひっきりなしに・・・というのには驚きました、まいりました。
もし席が近かったら、さすがに黙って観てほしいと言いに行ったと思いますが、数人の人を挟み10席ほど離れていたので我慢しました。前に座っていた人が何度か振り返って咳払いしたりしていましたが、効果なかったです。
あれはどういうことなんだろうなぁ・・・と、”おしゃべりしながら鑑賞する人” に遭遇する度に思います。映画館でも美術館でも、ときどき遭いますが・・・。
今回思ったのは、「周囲の人の迷惑に気づけないこと、考えられないこと」も そうですが、それより、会話の内容 そのもの・・・、その浅薄さでした。
映画は『ある男』だったのですが、女性2人は作品について予め得ていた情報を語り合い、登場する俳優の “周辺情報” を披露し合い、子どもじみた感想(子どもに失礼か…)を述べ合い(そうくると思った、だとか、それは無いよね、あんまりじゃない?とか、許されると思ってるのかね、とか・・・)、ラストシーンについても「それでどうなるのか言ってくれなくちゃ分からないよね」「ハッキリしない結末だね」などと文句を言っていました。
それを聞いて(どうにも聞こえてきてしまうのです。映画の “副音声” 状態でした・・・)、いい年をしたその人たちの幼さ、低俗さに驚きました。
わざわざお金を払ってこの作品を観に来て、そんな体験にしかできないのか・・・、
何かを新たに感じ取って考えたり、深く感じ入ったりする脳や心の活動 なしに2時間を過ごして帰って行くのか・・・、と。
おそらく70余年生きて来て、賢かったり思慮深かったりしたことはなかったんだろうなぁ…と思いましたし、70過ぎてこんなふうなのだとすると、これからはいろいろと鈍くなっていくわけだし、もう二度と情緒的・精神的に成長することもないのだろうなぁ…とも思いました。
そして、そういう段階にある「幼い大人」というのは(辛うじて映画館では静かに出来たとしても…) まま居るものなんだろうなぁ…、だから、まともで繊細に気づいている方が苦労するんだよな…ってことを、考えてしまいました。
映画そのものに集中することが難しかった今回でしたが、2人の高齢女性によって いろいろと考えさせられたので、まぁよしとすることにしました、よくないけど。
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