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「立ち聞き」とか「目くばせ」とか

朝ドラには「立ち聞き」シーンがときどき出てきます。「朝ドラ名物・立ち聞き」なんて言われるようですね。

誰かが、誰かの会話や出来事を、壁やドアや障子を隔てた場所で、こっそり聞いている。
聞き取った内容は、一旦そっと胸にしまう・・・。

今の朝ドラ『舞いあがれ!』にも、前々作『カムカム…』にも、印象に残る「立ち聞き」が幾つもありました。もちろん朝ドラに限らず、ドラマや映画を見ていると、「立ち聞きする」「目くばせする」「黙って目を伏せる」みたいなシーンが出てきます。

それらは、それをする人たちの優しさ、思いやり、思慮深さゆえの行動なのですが、私は、そういうものを見る度に、たぶん普通の人よりも、”ぐっときてしまう” ことを感じていました。
「こういうことの出来る大人が、自分が子どもの頃、周りにいなかった」ことを思って、羨ましくなったり哀しくなったりするんだなぁ、と。

さらに、「してほしかったこと(=足りなかったこと)」は、自分が誰かに「してあげられること(本当は得意なこと)」なんだろうな、と思いました。

私の場合は、親を筆頭に、自分の周りにいた大人たちのほとんどが、がさつで、さりげなく人を思いやるとかいうことの出来ない人だった(…というのは自分がそう感じていただけで、じつは”立ち聞きした内容を一旦胸にしまって、後で何かしてくれていた大人” も少しはいたのかもしれませんが…)、
そして大人たちの乱暴さ、思いやりの無さに私は、うんざりしたり傷つけられたりしていました。

でも、そんな環境、そんな体験は、後で思えば…ですが、自分を知って自分を育てていく…ということにおいて、じつは必要なことだったのかもしれないなぁと思ったのです。
「無い」から「欲しい」と思いながら大きくなったし、そこは気にして過ごして、自分には何ができるか、自分はどうありたいのか…といったことを考え続けるときの助けになったからです。

そういうことって、誰にでもそれぞれにあるでしょう。
親から してもらえなかったことを、自分はするよ、ということ・・・。

立ち聞きされたり目くばせされたりして、大人たちの思いやりに守られたかった私は、立ち聞きも目くばせも得意な、そうやって誰かの困難に気づいて寄り添いたいと思う大人になりました。よかったかな…と思います。

 

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