「死んで生まれ変わろうと…」という言葉をネットニュースで何度か見ました。
実際のお話がどうなのか…など分かりませんし、事件のことを書くつもりはありませんが、「死んで生まれ変わる」という言葉そのものについて・・・。
長らくスピリチュアルな世界のことを学んできた私にとってその言葉を目にしたとき、「それは そういうわけにはいかないんだけどな…」という感想になってしまいました。
この世に生まれてきている人は皆(恵まれていなかろうが、気に入らない人生だろうが、不幸だろうが…)生まれる前に「これから地球でひとつの人生をやってきます!」と宣言をして、さらに大まかな「青写真」を描いて、自らの意思で生まれてきて、その計画通りの人生をやっています。
もちろん《意思》の強弱はいろいろなので、必ずしも “やる気満々で” 生まれてきていないケースもあるようですが、それでも皆、ざっくりと、これくらいの長さをどこどこの誰々のところに生まれるところからスタートする、こういう体験をする、と決めているようです。
なかには超短期間しか地球に滞在しない人もいるし、たとえば肉体的に相当制限がある、という人もいるでしょう。
それでも皆が「こんな人生のなかで、こんな体験をして、こんな学びをして、帰ってきます」と、魂の源のところからやって来ています、私が学んだところによると、ですが。
それで、ひとつの人生を終えたときに、総括があり、その後の(肉体を持たない場所での)休息があり、また次のライフへと進む(肉体を持って生きる準備に入る)そうです。
次の人生も同じテーマで”続き” をやる、という人もいるでしょうし、新たなステージで再始動する人もいるでしょう。
前の人生ですごいカルマを作ってしまった人は、それを引き受けて清算する人生をやることになったり…ということもあるでしょう。
いずれも魂を磨く長い道のりにおいての話です。幾つもの人生を使っての《旅》の話です。
上に「自分の意思で…」と書きましたが、また生まれてくる、というのは、宇宙の法則に則ってのものであって、自分の好きなようにできるというものではありません。とにかく私たちは「与えられた いのち を全うする」しかありません。
辛いからこの辺でお終いにします、とか、随分頑張ってきたけどもうこの先にいいことなさそうだし疲れたので幕引きです、なんてのは駄目なわけです。
自己の勝手な都合で「生まれ変わる」などというわけにはいかないんです。
「途中離脱」は願いたくなっても願っちゃいけない、得ているいのちを使い果たさねばならない、と思います。
勝手にリセットして調子よく生まれ変われるかと言ったら、そうはいかないし、たとえば亡くなった愛する誰かに会いたいから死んで会いに行く…などというのも、叶うものではありません。
私たちは皆それぞれに、魂磨きの旅を、この地球に生まれて来て、”けったいな” 肉体を持って、やっているんですよね。だから私は、どんなものでも(悪事でも不幸体験でも何でも)、その人のその人生にとっては、不可欠で尊いものなんだと思っています。
生まれてくる前に「今度の人生を使ってこれをやりたい」と思ったこと・・・。私たちは忘れてしまっているものですが、思い出したいですね。
思い出して、今回の〈私〉の いのち が尽きるまで、思いっきり生きたいと思います。
ほんとに、長い長い旅の途中です。心配せずに、自分の思った通りに、行きましょう。
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