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「母さん、楽しい人生だったんだよ」と伝えた話

いま、9月あたままでの予定で、娘夫婦が1歳になった娘を連れてアメリカから帰って来ています。
昨晩は娘と、帰国して初めて二人で家飲みをする時間が取れて、ゆっくり話すことができました。
これまでのアメリカ生活の話、旦那さんが天才で変人で面白いという話、それから将来の計画など、娘から楽しく聞かせてもらいました。

地球上のどこででも暮らしていける(暮らしてもいいと思っている)人ってすごいな、自分とは違うな、と思います。
私は、靴のまま自宅に上がるとか、スーパーで肉はどうにも薄く切ってもらえないとか、業者にはいちいち厳しく言わないと適当なことされたりズルされたりしちゃうとか、そういうの聞いただけでも「私には無理だな…」と思ってしまう…笑。

娘から
「お母さん、60歳になったけど、今後について、展望とか計画とか、ある?」
そう訊かれたのですが、
「うーーん、小さいサイズの願い事は日常の中にあるし、お仕事は細々とでも続けていきたいし、若々しく健やかでいたいもんだとは思うけど、あれをやりたい!これが欲しい!は あんまり無くなったかなぁ・・・」
と答えたら、えー、そうなんだぁ…とちょっと困られてしまいました。

なので、
「もうねぇ、割と頑張ってきたと思ってるので いい塩梅に心地よく疲れたし、満足しちゃったんだよね」
「早いんだけど、楽しい人生だったなぁ・・・って思っちゃってるの。さいきん何でもかんでも有難いのよ(笑)」
と付け足したら、
「なるほど。そういえばお母さん、昔言ってたよね、『人生終わるとき、ああ楽しかった!って言えるようにするんだー!』って」
と言われました。

そうなんです。人生の序盤がかなりハードだったので、20代30代は相当わちゃわちゃとやりましたけれど、ある時「これからは、何でも “自分に訊く” ことにしよう」「自分の人生を始めなきゃ。(このままじゃきっと後悔する)」と考えて、決意して、やりたいと思ったことは何でも やりたいようにやってきました。
だからもう、ガッツ出して何か取りに行こう!とはならないので、娘には、一瞬、力の抜けちゃった寂しいかんじ に思わせてしまったかもしれません。でも、納得してくれたみたいでよかった。

人の顔色とか世間なんかを気にして、自分に合わないことや ほんとは価値を見出せないことを「しょうがない」なんて言って やり続けたりして自分を大事にできずにいると、やっぱりどうしても後悔の多い満足できない人生になるものだと思うんですね。
私は「自分のハートに従って正直に生きてよかった。やりたいことはやってみた。後悔なし!」・・・そう思って最期を迎える、と決めています。
これは、ご自分のことを「お人好し」とか「優柔不断」とか「他力本願」とかおっしゃる方たちにも、お勧めしたいです。

娘に、「母さん、楽しい人生だったんだよ」「だから感謝ばかりなんだよ」と伝えた話でした。

 

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