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この人は、心の触れ合いのある家庭で・・・

お客様がセッション中に呟いた言葉が、心に残りました。

「この人は、心の触れ合いのある温かい家庭で育ったんだろうなぁ…って分かる、そういう人っていますよね」

心の触れ合いのある温かい家庭で育ったことが分かる人・・・
いますね。
そういう人って、分かりますよね。

この人はきっと、家族から関心をもって接してもらい、温かな働きかけをしてもらい、心の触れ合いによって育てられ、安心安全を体験して、人のことを信じ、自分のことを信じるっていうことを、いつのまにか自然に、身に着けた人なんだろうなぁ・・・、それってどうやったって滲み出ているものです。

そういう人って、たとえば、誰かが見ていようが見ていなかろうが、善い行いをします。親切にします。
褒められようとか評価されようとか思いません。
別に心掛けているわけじゃなく「誠実」です。

逆に、心の温かな触れ合いのある家庭で育ってこなかった人の行動には、計算があります。狙いがあります。
誰かが見ていたら善いことをするけど、誰も見ていなかったら、やらない。ズルいこと悪いことも、バレなければやる。行動が不誠実です。

そういう絶対的な違いを はっきりと思い知ると、つい、私はピュアじゃない人間だな、大人になってからじゃどうにもならないよって、思うかもしれません。
ほんとに、育った環境、超重要な幼少期の「心の環境」に恵まれていた、というのはもう、それだけで相当なアドバンテージですからね、自分なんかとはモノが違うんだよなぁ・・・みたいに思ってしまうこともあるでしょう。
上のお客様は、そのように思うのですって。

でも、「心の触れ合いのある家で育たなかった自分」の持っている考えや行動のクセに気づけたというのは凄いことで、そこからなんだと思うんですね。

“生き抜く” “生き延びる” ことに必死だったという人は、まずは自分に「よくサバイブできたよね」「お疲れさん、がんばったね」と十分にねぎらってあげてほしいです。その過酷な日々に打算的な人になってしまったのは当然ですもの。

これからです。
これから、できるだけ心が丈夫でご機嫌で親切な人たちと交流して、こうなりたい、こうありたい、と思う方へ、ぼちぼちと、諦めずに、進んでいけばよいと思います。

周囲の人を愛し、自分を愛し、自然を愛し・・・、いろいろなものの中に愛を見つけ愛を感じるごとに、魂は成長するのだと思いますが、
これについて、自分はこんな低い地点にいる、とか、一生かけてもあそこまでは行けない、とか思わないでほしいです。
どんな思いで何をしたのか、何を味わったのか、それは全て、魂に刻まれ 貯まっていくはずですから。

それを信じて安心して、今日も元気にまいりましょう。
今日もささやかな愛の実践をいたしましょう。

そうしていけば、誰かが見ているとか誰も見ていないとか、気にならなくなっているご自分に、きっと気づくと思います。

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