長いこと連絡がつかず気にかかっていた友人が、昨年、病気で亡くなっていたことを知りました。58歳。
友人は、美人で華のある容貌をした人で とてもチャーミングなのに、自分の良さをちっとも分かっておらず、自己評価が超低く、努力の方向をいつも間違えて、たくさん苦労をしてきた人でした。自分で「薄幸な女」というラベルを貼り付けて、いつも ごめんなさい、ごめんなさいと言いながら、ひっそり生きていました。
とんでもなく大変なことを誰にも打ち明けずに独りでなんとかしようとしてしまう人だったので、私はいつも後で聞かされて驚いて呆れて「早く言ってよねぇ・・・」と言ったものでしたが、最後に会った一昨年の冬には体調が良くなさそうで、少し痩せたね、大事にしてよ、と話していました。
その後は、受診したの?調子はどうなの?とLINEで尋ねても、のらりくらりとかわしてみたり、もういいんだと返してきたり・・・、夏ぐらいには「既読スルー」、秋には何通送ってもメッセージは「未読」のまま・・・という状態でした。
私はもっとお節介をやけばよかったのか、上手な強制介入というものが あったのかなかったのか・・・。
彼女はそれを望んでいない、と分かっていたけれど、それでも「生きていようよ」と言い続け関わり続けようとしていたら、彼女の人生は続いていたのかなと思うと、やっぱり心が痛むし、とても寂しい。
スマホに一枚だけ、彼女の写真が残っていました。
5年ほど前に居酒屋で撮ったものですが、やめてー!撮らないでー!と言って照れ笑いをしている彼女は、やっぱり美人です。
その写真を眺めながら話しかけました。
お疲れさま。楽になった? 終えた人生は 振り返って どうだった? 聞きたいことだらけだよ。
私はまだこちらで命を使おうと思うよ。いつかそちらで会えたら、できなかった話をいろいろとしよう・・・

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