相談室を初めて利用してくださったお客様がセッション後、
「生まれて初めて自分の話を聴いてもらいました」
「人に話を聴いてもらうっていうのはいいものなんですね」
とおっしゃることがあります。
「思いがけず楽しい時間になって元気が出ました」とおっしゃる方も・・・。
あたまに浮かんだもの、何か感じたこと思ったことを、誰か他人に話すことを普通にできる人、苦じゃないし自然にやっている、という人もたくさんいると思いますが、
自分の思ったこと、特にネガティブな内容を、他人に話すってことに違和感、抵抗感がある、そんな習慣はない・・・という人もいるんですね。
私もそうでしたが、そういう人は、幼い時の環境が それを容易くできるものではなかった、とか、話したところで 受け止めてもらえず傷ついたか、”こっぴどい目” に遭うばかりだった、ということがあったせいで、他人には大事な話ほど「しない」と決めて生きてきた、ということがあったんじゃないかと思います。
冒頭に書いたお客様たちも、そんなふうにおっしゃいましたね・・・。
私は、過去にブログなどに何度か書いていますが、中学生時代、バレーボールの強豪校に無理やり入れられて年休2日で猛練習に打ち込む・・・という生活を強いられた、と言う経験があるのですが、
その「中学時代3年間の記憶」は、あるにはありますが “相当 足りない” し、その時代の「(心のアルバムの)画像」は全て、「カラー」ではなく「白黒」なんですね。
20年ほど前に受けたカウンセリングやセラピーのなかで気づかされたことなのですが・・・。
人の記憶って、体験を誰かに話すことで確かなものになって心に保存され定着する、というところがあります。
私があの時代のことを、辛かったこともそうですが 楽しい良い思い出ですら殆ど憶えていないのは、誰とも心を緩めて話をすることができず、心の “窓” も “ドア” もことごとく閉ざして戦闘態勢をとって、ただひたすら、負けないよう潰れないようにと頑張ってしまっていたからなんだと思います。
何度か出席してみた同窓会で、同級生たちが私について憶えていることを語ってくれたのですが、私はどの話もぼんやりとしか憶えていなくて愕然としたものです。
“友人の証言” をもらって、へぇ、私はそんなふうに “立派に” 振る舞ってたんだな、随分と無理してたな、でも、ちゃんと楽しい体験もしてたんだ、よかったな・・・というふうでした。
心を閉ざして誰とも深くかかわることを避けていると、辛いことを遮断して強くいられる代わりに、楽しさや喜びも取り込みにくくなるんですよね。
我がことながら、可哀そうだったなぁ、多感で大事なあの時期を、もっと自由にもっと楽しく、過ごさせてやりたかったなぁと思います。
子どもの頃の自分には、話を聴いて共感してくれる人、味方でいてくれる人がいなくて、自分の話を誰かに聞いてもらう…ということをしてこなかった・・・という人、
今からでもぜひ、自分の話を丁寧に聴いて大切に扱ってくれる人を見つけて、新しい体験をしてみてください。
自分にはそんな人はいない…という人は、プロを探して訪ねてみてください。
お金をかけることにはなりますが、しっくりくる人に話を聴いてもらい(プロなら誰でも…というわけじゃないですよね)、
理解された、共感してもらえた、と思えたときにはきっと癒されて元気になっていると思いますし、そうすると、思っていたのを遥かに超えて心が動き出し、いいことが起きていくと思います。
それはほんとに素敵なこと。
人ってやっぱり、「自分を受け止めてもらって理解してもらって大切にしてもらってこそ」で、「そこから始まる」んだと私は思っています。
