幼い頃、お父さんやお母さんに大事に扱われなかったり(そのように感じていたり)、そういう苦労の多い環境にいたことで
自分は安全だという感覚や、自分は(どうであれ)愛される存在だという自己信頼というものが、 残念ながら育まれなかった・・・
私が日々お会いするお客様の抱える問題やお悩みの背後には、そのことが大抵張り付いています。
そういう人は、自分のことを嫌いだと言います。
「こんな私だから幸せになれないのは当たり前だと思う」ということもおっしゃる。
この間、
「自分の心に開いてる穴ぼこからは、ロクなものが出てこない。出てくるのは、邪なものばかり、周囲の人にとって有害なものばかりだ」
と言った方がありました。
だからそんな自分がつくづく嫌になる、と。
・・・そんなことはないんです。そんなふうに思わないで、と私は言いました。
今でもとっても繊細だけど、幼くて未熟で弱かった頃にたくさん傷ついてしまった。
そしてその手当てをしてあげていない。「手当て」をしてもらった方がいいなんて思ってもみなかったし、なんとなくそう思っても、そのやり方が分からなかったのだと思います。
だからまだまだ傷は疼き、痛み、その存在をおそるおそる伝えてきている・・・
そんな状態だと思います。
痛かったのに痛いと言えなかった。
自分を攻撃してきた人に、やり返してやろうとは思わなかった。
ひたすら耐えながら、
みんなが笑っていて幸せだといいなぁと思って、
自分に出来ることはないかな…と、ずっと考えて来た。
痛すぎて辛すぎて悲しすぎて、自分の心に収まりきらなくて はみ出てきちゃうものを「邪」とか「有害」とか思わないでほしい。
私は、どこまでも優しい、じつは気高くて美しい人が、自分の価値に気づかずに申し訳なさげに息をしているのを見ると、どうやったって元気を回復してもらいたいと思います。
私は、押しのけて行く人と押しのけられてしまう人がいたら、押しのけられてしまう人の側にいたいと思います。
自分ひとりでは気づけないことのなかには、とっても大切なものがあります。その後のその人を支えていくもの。
そういうものを持って帰ってほしくて相談室を開けています。
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