私の父と母はそれぞれ、小学生、中学生のときに親元を離れ、それ以降は実の親と暮らせなかった人たちでした。
父は養子に出され、母は奉公に出たそうで・・・。
早くに無理やり自立させられて大変だったろうなぁと思うのですが、
独立心、勤勉さ、忍耐力・・・そんな言葉がぴったりな両親の放っている空気が満ちた家で育った私は、かなり小さな頃から、弱音を吐いてはいけない、人に甘えちゃいけない、調子に乗ってはしゃいではいけない・・・というふうに考えて、そう決めて、過ごしていたと思います。
私は長女ですから特にそうですが、妹たち二人も、そういう空気の漂う家の中それぞれに、ちょっと息を詰めるようにして暮らしていましたね。3姉妹で工夫して、なんとか楽しくしようとしていたとは思いますが。
それから私は両親の口から「ごめんね」や「ありがとう」の言葉を聞いたことが、一度もないんですね。
そう言うと「一度も、ってことはないでしょう?」と言われますが、ほんとに記憶にないです。儀礼的な言葉としてよその人に言うことは普通にあった思いますが、家族に対しては、ほんとに無かった・・・。
精神的に歯を食いしばって生きていたからか、躾けられていなかったせいで身についていなかったせいか、なんか恥ずかしかったのか・・・わかりませんけれど。
あ、褒められたことも無いですね、まったく。
結構 活躍してたと思うんだけどな・・・(苦笑)
とにかく、優しい言葉が行き交うことのない、寒々とした家でした。
暗くて嫌だなぁと思っていました。
今では、「黙々と忍耐強く頑張って生存することが人生」であった両親には、それ以上の豊かな世界のこと…ユーモア、創造、思いやり、交流、感謝、感動、祈り、愛・・・みたいなもののことなどは、そこへ辿り着いていなかったから、ほとんど ”関係がなかった” 、だから仕方がなかったんだ、と受け入れていますが・・・。
そんな二人を両親に持つ私たち3姉妹は、彼らを反面教師にしたかのように、ことさらに、大げさなくらい、ありがとうとかごめんなさいとか嬉しいとか心配してますとか感動したとか・・・そういうことを人に伝える大人になったと思います。
そういう思いをちゃんと伝え合う温かい世界に行きたいという希望を、幼い頃に胸に抱いていたんじゃないかな、3人それぞれに。
私は自分が出会って関わっている大事な人たちに、
こんなことをしてしまって、ごめんなさい。
これをしてもらって助かった、ありがとう。
一緒に居るから大丈夫だよ。
それは素晴らしい、よくやったね、おめでとう。
そんなふうに心配してくれてたなんて、嬉しい。
あなたのそういうところが好き。尊敬する。
ああ幸せだなぁ・・・
そういう言葉を十分に伝えようと心掛けます。
しっかり言えたかな? 足りてるかな? ちゃんと伝わったかな? と気にするのですが、それは そんな生い立ちのせいが大きいです。
同時に、相手からの言葉もしっかり受け取りたいと思います。
そうやって大切な人たちと、ちゃんと伝え合って交流して、関係を大切に維持し、育てていきたいからです。
言わなくても分かるでしょ、は、無しでいきたい私です。
交わって温かい。というのが好きです
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