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最近、幸せではない恋をしている人のお話、恋人との関係が終わった人のお話 を幾つか伺いました。
恋には必ず、その時その恋をしなければならなかった理由・・・分かりにくく隠された理由・・・というのがある。
私はそう思っています。
ただ単に “ものすごく素敵な人” が目の前にいたからといって、必ずしも恋に落ちるわけではないでしょう。
人は、心にある 疼く傷 や 真っ暗い穴ぼこ に触れられた時に、恋に落ちるのだと思います。
そういう “自分が受容してこなかったところ” を刺激してくる相手に出会ったときに、「ビビビッ!」「ずきゅん!」は起こる・・・
「私は変わりたい!」 「この人は今の私を別の私に変えてくれるに違いない!」・・・そう思って駆り立てられていくのが恋でしょう。
だから、恋(つらい恋)っていうのは、
「こんな私じゃダメかもしれない」 ことが不安だし切ないし、
「まだ足りない」 「もっと欲しい」 が苦しい。
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恋愛に限りませんが、超・接近戦でいくしかない人との関係が始まったときには
自分の心の中に「いま向き合うとよいテーマ」が浮上しているものだし、
密な関係が続かなくなって別れていくときには
変化、成長していくために必要だったひとつの経験が終わった・・・
ということなのだと思います。
自分が受け入れて来なかった部分を、
「ここはどうするの?」「手放すの? 統合していくの?」
と内側から問われていた、とも言えます。
この問いにはしっかり答えねば。
相手の中に見ていた 自分のダメなところ、未熟な部分…、それを素直に受け入れて、
罪悪感を持つでもなく、被害者意識を持つでもなく、
今は無理でも いつかは 出会いに感謝できますようにと祈って、別れていけるといいです。
本気の恋の顛末は、かけがえのない自己受容のプロセスになっているものです。
気づけたら幸い。なのです
![](https://i0.wp.com/satoyacr-ginza.com/wp-content/uploads/2018/10/AdobeStock_88725330-1-e1563674612421.jpg?fit=680%2C454&ssl=1)
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