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不適応を起こしている人がダメとは限らない

たとえば、多くの子どもが通えている学校に、
たとえば、せっかく就職できた会社に、
不適応を起こして行かれなくなってしまう人がいます。

そうすると、家族は困惑したり心配だったり嘆かわしく思ったりして、なんとかしようとしますね。
誰にだって嫌なことはあって、それでも皆、頑張って通ってる、もっと強くなれ、努力が足りない、気合い入れろ・・・
そんなことを言います。
できることなら、学校に、会社に、戻ってもらいたいですから・・・

私たちは、ある環境に居続けるのは良いことで、適応できないのはダメなこと、と考えがちです。

でも、たとえば、
その人にとって窮屈で苦痛な、つまらない規則が多く、したくもない競争を強いてくる学校や、
そこに居れば居るだけ気持ちが荒み、自分の善き部分が損なわれてしまうような企業に、
なんのワクワクも楽しさも感動もなしに居続けたとして、それに何の意味があるでしょう。

どんな(悪い)環境にも、割と楽々適応できる人・・・というのもいますね。
そういう人はよいのです。
強靭な精神を持っていたり、根っから明るく楽天的だったり、いい感じに鈍感だったり・・・そういう人はね。

でも、そうじゃない人は、そこに無理やり居続けようとしたら、きっと
自分を殺してそこに居るしかない、ということになる・・・

そんなこと、続けられません。

去っていい。逃げていい。はずです。

だから、大切な人の不適応に対して、
「我が儘だ」「弱すぎる」という叱責、激励や心配は無用、
というか有害なことも多いんじゃないかと思います。

その人の心身が潰されない場所へ自分の意思で行って、そこで息を吹き返して生きられるように、
その人の不調や不適応は真っ当な反応なんだと信じて、のんびり見守っていてあげてほしいと思います。

不適応を起こしている人がダメとは限りません。

多くの人が所属できている組織であっても、じつは大したことなかったり、深い病理を抱えていたり…ということもありますもの花

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