昨日の朝日新聞の『折々のことば』より。
作家の浅生鴨さんは「劣等生だった高校時代」に、教師からの小説がらみの難しい質問に正答したことで「君はよく読んでいますね」と感心され、その贈られた言葉に「心の縺れが解けた」そう。
また、お祖母さんに「優しい子」だと言われ、「まさかと思うも、以後 祖母の前ではそうあろうとした」ともありました。
贈られた言葉を「引き受けることで人は変われる」と書かれていた鷲田清一氏の言葉が沁みました。
「引き受けることで人は変われる」…、そうだなぁ、自分にもそういうことがあったなぁ…と思い浮かべた人がいます。
既に亡くなっているN叔母さん。
私は子どもの頃、親からいつも「可愛げがない」「生意気だ」「高慢ちきなおまえに友だちなんかできるはずがない」などと言われていましたから、ああそうなんだな、自分は可愛げがなくて生意気だから誰からも好かれないのね…と、それを信じて過ごしていたのですが…
そんな私に、その叔母が、あるとき言いました。
私は中学生でしたが、親戚が大勢集まって宴会をしている場で 親から「生意気な口を聞く」ことについて叱られた私を、こっそり別室に呼んで言ってくれた言葉です。
「あかりちゃんはいつも、周りをよく見てるし、よく気がついて すごいね」
「叔母さんは、あかりちゃんが すごく優しい人なのを知ってるよ」
「あかりちゃんは大人になったら、困ってる人の話を聞いて助ける仕事をすると思うなぁ」
すごくびっくりして(だって私は可愛げがなくて生意気で高慢ちき…)、でも、その晩寝床に入った後、「そうか、そうなのか、私は優しいのか…」「私は困ってる人を助けられるようになるのか…」と思ったら、嬉しくて、ほっとして、ちょっと泣いたんですよね。
それ以後も私は、家の中では相変わらず、強張った顔と憎たらしい態度で過ごしていたと思いますが、心の中には叔母からもらったその言葉があって、希望を失わずにいられました。
それが支えになっていたおかげで「今は、自分を理解してくれない親の期待や要求があって不自由だけど、いつか、自分の思った通りに歩いていくんだ。ほんとの私になっていくんだ」と、密かに想い続けていることができたんですね。
みなさんにも、あの言葉のおかげで新しい自分に出会えた、あの言葉によって自分は変わっていけた…という 「誰かからの言葉」が あるでしょうか・・・。
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