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「自分は大丈夫なのかダメなのか」の世界に生きない

「人様の役に立つこと」「生産性の高い有為な人間であること」こそ・・・、という価値観で生きている親御さんに、
子どもの頃しょっちゅう「お前は本当にダメなやつだ」「お前は一家の恥だ」などと言われていた・・・というお客様がありました。
全く「ダメ」なんかじゃない、とてもよく気のつく優秀な方なのですが・・・。

でもその方、「親から散々聞かされてきたその呪いのような言葉に、自分は今だに支配されている」ことに気づいたのだそうです。

だから自分はこれまで、何かを選択するとき、何かに取り組むとき、それがどれほど役に立つものなのか、人並み以上にうまくやれているか、迷惑をかけていないか・・・と、そんなことばかりを大切にしてきた、
解ってもらえないときの恐怖、十分にうまくやれているときう評価が得られないときの恐怖は 途轍もなく、いつもいつも、ちゃんとやれなけば意味なんかない、やれなかったら嫌われる、居場所を失う、と怯えていた、
しかも、しおらしく怯えていればまだ可愛いが、自分ときたら、ちゃんとやれてない他人や 不真面目な人、生温いくせに許されてる人に、激しい怒りを感じてそれをぶつけてしまう。感じの悪い機嫌の悪い、トゲトゲの人間だ。

そのような告白がありました。

 

“ちゃんとやれてない人” や “ヌルいことやって許されてる人” に(自分が迷惑を被っているわけじゃないのに)怒りを感じる・・・という人は、強迫的になって頑張り続けている人ですね。頑張り過ぎてる人。
本当は、頑張って成果を出さなくたってほんとはいいはずだし、ダメなやつでも受け入れられる安心な世界って在るはずなんだけど、そのことを知らない。
だから、「これでいいのか?」や「こんなことじゃあダメなんじゃないか?」に追い立てられるように、頑張って頑張って・・・、いつのまにか窮屈な方、暗い方、大変な方へ、自分を運んでしまうんですね。

 

また、その方は、”そんな私” が結婚をし子どもを産んだのでもう、困難しかない、何も楽しくない、とのことでした。
夫は優しくてよくやってくれるし、子どもも元気すぎて手を焼くけれどおかげさまで健康・・・、なのに何か自分の思いどおりじゃない事態になると、二人を、心の平和を乱す「敵」のように思ってしまい、家の中に嵐を巻き起こし、しまいには勝手に孤立してイジケてしまう・・・、と。

その方には「親にさえ、苦しい自分の胸中を吐露したことも頼ったこともないのに、他人である夫に、そんなことができるんだろうか・・・(できるとは思えない)」という思い(怖れ)が強くあるのだそうです。
でも、いつまでも「敵なのか味方なのか」とか「自分は大丈夫なのかダメなのか」みたいな世界には居たくない、とおっしゃって・・・。

親にさえ頼らなかったのに・・・
親でさえ無条件には自分を愛さなかったのに・・・
についてですが、
親御さんはそうだったかもしれないけど、だから一生、人とはそういう寒々しい関係しか築けない人として生きていく、ということはないのです。
そうだったからこそ、人を信じて自分を開示していくこと、甘えること、頼ること、どんな自分もどんな相手も、そのままでいていいんだということ・・・、そんな勉強をしようとしているはずなんです。

それを受け入れられるタイミングに来た人には、
今の自分は親の育て方の影響でどうなってるのか、そして自分はそこをどうしていきたいのか・・・
そこに取り組んでみよう、と思ってほしいんですね、私、お手伝いしますから。

 

恐怖に駆り立てられて生きることは、”なんとなく” では やめるのは難しいけれど、きちんと意識して取り組めば、必ず やめられます。

やっぱり、「言動の動機」、「人生を満たすもの」は・・・
「怖れ」じゃなくて「愛」でいきたいです。

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