BLOG

カウンセリングで「癒される」ということ

心理カウンセリングで心が「癒される」というのは、たとえば愛らしい動物の動画を見て “癒される”、大自然の中に身を置いて “癒される”・・・というのとは、質が違います。

たとえば「カウンセリングに行って恋人に裏切られた辛さを聴いてもらって癒されよう」「カウンセラーに職場のストレスを愚痴らせてもらって癒されたい」という人が思う “癒されたい” は、動物動画や大自然に癒されたい、というのと、一時的にほっとする、という意味で似ています。それはそれで価値のある良いことなのですが・・・。

でも、カウンセリングがもたらすことのできる「癒やし」には、もっと奥深いものがあります。

カウンセラーに、それまで誰にも話したことのないことを 勇気を出しておそるおそる話してみたら、全く非難も否定もされず、しっかり受け止められ、寄り添われていることを感じ、どんな球を投げても暴投しても、きちんと返球してもらえる、という体験ができたとします。
そしてそれを、継続していくセッションの中で繰り返されていくと・・・
少しずつですが確実に、変化していくんですね、心の持ち方、他者への、そして自分自身への態度が・・・。

そして、それまではきつく施錠してきた心の奥の扉・・・または秘密の小箱の重い蓋…を、開けてみてもいいかな・・・と思うときがやってきます。
これが、カウンセリングによる癒しの始まりです・・・。

その段階へ来ると、その扉の奥から、その小箱の中から、以前の自分には取り組み不可能で無いことにしてきたものが絶妙なカタチで現れて、ときには古傷が痛みだしたり感情的に不安定になったりすることもありますが、
向き合う作業をやめずに続けていくと、「いつのまにか自分には、自分の面倒を見て自分の人生を自分のものにしていく力がついたかもしれないな」と実感すると思います。
上の例でいうと、「恋人の裏切り」や「職場のストレス」に、心身を振り回され弱らされていた自分ではなくなっていることに気づくはずです。

これは、カウンセラーとの関係性の中で、いろいろな感情体験をすることの産物です。
正直な自分の思いや考えを相手に伝えても大丈夫なのだな、とか、共感し受け止めてもらうとこんなにも安心で心が喜ぶものなんだな、とか、辛い出来事がある度に自分がしていた反応は 自分のクセだったんだな、とか、これまで手放せなかった信念はもう捨てられるかもしれないな…など、セッションの中で、本当にさまざまなことを思い、気づき、考えて、少しずつ、本来のその人に戻っていき、「自分の人生の歩き方」を手に入れていくわけです。

カウンセリングでは、それくらい「癒される」ことが可能です。
実際に、私の相談室でも起きることだし、かつての私自身が(クライアントとして)体験したことなので、よく知っています。

もちろん、そういうプロセスなので、正直、時間はかかります。
たちまち変わって新しい自分になれる・・・などという魔法はありません。
(そんなことを謳う心理療法家がいたら・・・、それは浅いレベル限定の話をしているのか、その人自身が まだ目覚めていないのか・・・)

カウンセリングによる「癒し」のプロセスは、行きつ戻りつ進んでいく、まどろっこしいものかもしれませんが、
カウンセラーを相手に、自分の気持ちを自由に言葉にして伝え、それを受け止めてもらう・・・という継続的な機会によって、自分の心の深いところを探求する力を着実につけられる・・・、これって凄いな、と私はいつも思います。
怒りや悲しみや寂しさのトンネルをくぐり抜けたところに見る優しい癒しの光は、一時的なものでない、失われない「本物」です。

学問でもスポーツでも何でもそうですよね。時間をかけ、着実に力をつけていったものは、失われません。

心の世界は、ほんとに深い豊かな世界で果てがないように感じられるものですが、その世界の歩き方にはコツがあります。
それを理解したい時に、カウンセリングはきっと役立ちます。
一時的でない「癒し」、確実な「変化」を自分に用意したい、という方は、ぜひ利用なさってみてください。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP