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息子も娘もそれぞれに

昨日、息子(27歳、長崎のホテルに勤めています)に用があって電話をしたら、こんな話を聞かせてくれました。

フロント係の先輩Sさんが退職することになって、こないだ送別会があった。Sさんというのは、フロントのメンバーの中でもとりわけ優秀で、すごく細やかに気遣いをする人。お客様にもスタッフにも。
俺も入社したてだった頃、随分と気に掛けてもらって、さりげないアドバイスや慰労の言葉に、どれだけ助けてもらってたか・・・。
Sさんが辞めていくのは本当に寂しくて残念だけど、これからも自分はSさんの姿や仕事の仕方を思い出して参考にしながら精進したいと思う。
・・・ということを、送別会ちゅう、Sさんの席まで行って、ちゃんと言葉でお礼の言葉、惜別の気持ちを伝えたら、
Sさんから、思いがけない嬉しい言葉を返してもらって、「わぁSさんは自分をそんなふうに見てくれてたんだ・・・」って感動して、ほんとに有り難いご縁だったんだなぁと改めて思った。
お母さんがいつも、感謝とか尊敬の気持ちは、できるだけ相手に言葉で伝えなさいって言ってたこと思い出して、初めて言ってみたんだけど、伝えられてすごくよかったよ。言うのと言わないのでは、起こってくることが全然違うもんなんだろうなと思った。

そういう話でした。

嬉しかったです。
息子は「人に恵まれて、楽しく勉強させてもらってるよ」と前から言ってたけれど、ほんとに お手本になる人、尊敬する人と出会っていたんだなぁということ。
そして、私は昔から「人への感謝や称賛、敬意は、ちゃんと相手に伝えようね、心の中で思ってるだけじゃなく、ね」とうるさく言って聞かせて来たのですが、息子はそれを覚えていて実行してみて、そしてたぶん、そのささやかな体験から ひとつ「得た」こと。

 

☆☆☆

 

娘 (29歳、看護師) のほうは今、来年のイギリス留学の準備中なのですが、仕事を正社員からあえてアルバイトに変えて(給料がすごく高い、高度なことをする「オペ専門ナース」として働いてます)、そして留学に向けての勉強をモーレツにしています。
娘は「決めたらまっしぐら」で、セーブさせようと思ってもムダなので、「すごいなぁ、こういう脇目も振らずに頑張れるっていうのは、私には全く無い性質だわ・・・」と思いながら、ただ黙って見守っているのですが・・・。

先週、娘からこんなことを聞きました。
娘は昨年の夏、自転車で走行中、車と衝突、ボンネットに跳ね上げられて吹っ飛んで着地して腕を骨折したのですが、
「これまで自転車に乗れずにいたんだけど、なんとなくやれそうな気がしたから、お母さんのママチャリ借りて乗ってみた」
「〇〇(目的地)まで行くには大通りを渡らなきゃならなくて、それはやっぱりまだ無理だったから、すぐそこの(自転車に乗るほどじゃない近さの)ドラッグストアに止めさせてもらうことになっちゃった」
とのことでした。「でもこれ、リハビリの第一歩ね」と。

別に娘のことを「傷つかない “鋼の心” の持ち主」などと思っていたわけではありませんが、気持ちがしっかりとした強い子なので、「事故によるトラウマ」について、ほとんど心配していませんでした。
私が運転する車にも、事故後しばらくは「フロントガラスやボンネットが見えるのが無理・・・」と言って助手席には座れず、後部座席にちんまり隠れるようにして座るばかりでしたが、最近は助手席に乗り込んで来るようになっていたので、自転車に乗ることについても、もう大丈夫(だけど必要がないから乗っていない)なのかと思っていましたが・・・

・・・自転車には、乗れずにいたんですね。

娘はきっと、事故で心に受けた傷を癒して越えてかなくちゃと考えて、その傷に触れてみたり寝かせてみたり・・・様子を見ながら、密かにリハビリに踏み出す機会を狙ってたんだな・・・と思います。
そのうちまたチャレンジしてみよう、今度は自転車で大通りを越えられるかな・・・などと思ってることでしょう。
意地らしいな、娘らしいわ、と思いました。

 

☆☆☆

 

自分で考えて自分でやってみて、その体験から何か掴む、感じ取る、そして結果を手元に置いて、また前へ進んでいく・・・
そうやって成長していこうとする人はいいな。
我が息子と娘のことではありますが、二人それぞれの「2019年の夏」に、思いました。

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