子どもの頃、日テレでやっていた子供向け番組『木馬座アワー』の中に「カエルのぼうけん」というコーナーがありました。
いまWikiで調べたら、放送されてたのは1966~1970年でした。
主人公のケロヨンとその仲間たちの着ぐるみたちによる劇なんですけど、当時大人気で、私も毎日のように見てました。
一度、木馬座のミュージカル・イベントへ連れて行ってもらったときのことです。
会場では「カエルのぼうけん」の登場キャラたちのお人形を販売をしていて、たくさんの子どもたちが、ケロヨンか、その相棒のブーヨンの、ソフビニ製の人形を買ってもらって手に持っていました。一緒に行った妹も、ブーヨンを買ってもらってました。
ブーヨンは、帽子のところを押すと、ブーーーッと鳴るようになってて可愛いかった。他のは鳴らない、鳴るのはブーヨンだけ。
私もほんとはブーヨンがよかった。でも、私が「これにする・・・」と言って買ってもらったのは、ほとんど誰も選ばない「アナグマさん」という、穏やかでお父さん的なキャラの人形でした。
どうしてアナグマさんにしたのか・・・。たぶん、こんな感じでした。
ブーヨンは飛ぶように売れててて販売してるワゴンは大賑わい。一方、アナグマさんのワゴンに人はいなくて、ちっとも売れていないアナグマさんは、どことなく寂しそう。アナグマさん係の販売員のお姉さんも寂しそう。ほんとは私もブーヨンがいいけど、アナグマさんを欲しいと言おう。そしたら寂しそうなお姉さん、嬉しいかも。お母さんも、ブーヨン2個買わされるより違う種類のを買うほうがいいだろう。
ああ、なんて子供らしくない考え・・・!(苦笑)
☆☆☆
思い返すと私は、子どもの頃、若い頃、そんなことばっかりしてました。
「アナグマさん」くらいならいいですが、「中学校で強豪バレー部に入るために越境入学した」とか、「二世帯住宅を建てて両親と同じ家に住んだ」とか、私は自分にとっての大きな局面で、いつもいつも、親や教師や世間を重んじました。というか、物事を捉える、何か決断する、というときに、自分の「好きだ/嫌いだ」、自分の「やりたい/やりたくない」を持ち出していいとは、思って良いということを知りませんでした。
そんなふうでしたから、その後ちゃーんと人生が苦しくなって(笑)、そのおかげでカウンセリングやセラピーやヒーリングに出会い、長い年月はかかりましたが「自分が自分の味方でいてあげること」の大切さをよく理解して、やっと、「私は自分のことを信頼しています」と言えるようになりました。
自分の好き嫌いや欲求、願望を蔑ろにしていて(=自分が自分の味方でいられずに)、「自信をもつ」「自分を信頼する」ことなど無理なんですよね。
逆に言うと、自分に自信のある人、自分を信頼できている人は漏れなく、自分の好き嫌いや自分の欲求を大切にしています。
もし、嫌いなもののほうを選ばなきゃならなかったときや、自分の望みに反したことをやらなきゃならなかったときがあったとしても、そんなときは、「そっちを選ぶのは仕方なかったよね」「お疲れさま。そんな時もあるよ。偉かったね」と自分に声を掛けているはずです。自分を責めない、ディスらない、誤魔化さない、不貞腐れない、見捨てない。
「自分はこの自分でいていいんだ」という安心感や喜びは、よい人生に不可欠です。
そのために「自分は自分の味方でいる」・・・、これを大切にしてください。
ブーヨンじゃなくアナグマさん選びがちな人へのメッセージでした。
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