BLOG

他罰的な人、自罰的な人、それぞれの悩み

悩みがなかなか解けない・・・という人を見ていると、それには2タイプある、と思います。

ひとつは、困りごとや悩みの原因が自分にあると “思っていない” ケース。
他罰的、他責的な人ですね。

そういう人の相談は、たとえば こういう表現になります。

「妻がいきなり、離婚をしたいと言ってきた。どうしたら離婚の意思を撤回させられるでしょうか」

「家を出て自活を始めた娘が、連絡をよこさない。私は母娘で一緒に出掛けたりしたいのに、少しも誘いに乗らないし、冷たい」

上のふたつに共通しているのは、その “離婚をしたいと言っている妻” にも、”冷たい娘” にも、思いがあり言い分があるでしょうに、相談者はそれについて共感的になれず、理解しようとしていない、ということです。
それぞれ、今の状況に至るまでには、ごもっともな出来事の積み重ねがあるはずで、相談者にも省みて改めるところはあるはずなのに、それを受け入れられない、相手が悪いと思っています。

 

一方、困りごとや悩みの原因が、なんであれ自分にある、自分が悪いと思っている・・・というタイプの人もいます。
自罰的、自責的な人です。

そういう人の相談は、たとえばこのようなものです。

「会社で、可愛がってきた部下が辞めたいと言っている。彼に仕事のやりがいを与えてやれなかった私のせいだと思うので、申し訳なくて苦しい」

「嫁に来て20年、要求が細かく束縛の強い夫の言うことを聞き、義実家の商いの手伝いや姑の介護なども全力でやってきたつもりだが、夫からもその家族からも至らない嫁と言われ叱られてばかり。要領の悪い自分が嫌になります」

こちらは、”辞めたがっている部下” ”叱ってばかりの夫とその家族” の問題の原因は自分にある、すべて自分が悪いと言っていて、相手の問題である部分まで引き受けようとしてしまっています。
謙虚に自分を省みようとするところや、相手のためになりたい、何かをしてあげたいと思うことは良いのですが、そういう人に聴き取りを続けても大抵、「自分はどうしたい」という部分がなかなか出てきません。「自己不在」なのです。

 

他罰的か、自罰的か。
どちらか一方に居てそちら側からしか物が眺められない・・・ということだと、いつもいつも同じような悩みがやってきては、解決できない解決できない・・・ということになるでしょう。

なんでも人のせいだと思ってしまう人は、「内省」「共感」「他者を尊重すること」といったことを学ぶ必要があるし、
なんでも自分のせいだと思ってしまう人は、「自己中心性」「バウンダリー」「自尊」というものについて、考えていってほしいと思います。

そうして成長していく先には、「自分には自分の、相手には相手の、尊重されるべき思いがあり、人生があり、それはどちらとも大切にされなければならない」ということが理解できる・・・、そういう、人としての成熟があるのだと思います。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP