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人生の場面が「走馬灯のように」駆け巡った体験から

思い出が次々と脳裏に浮かぶことを「走馬灯のように」と言ったりします。
死の目前には人生が「走馬灯のように」駆け巡るらしい、というのも 聞いたことがあるでしょう。

新年早々・・・ですが昨日はお客様と、この「走馬灯」を体験した話になりました。

 

そのお客様は若い頃に、交通事故に遭って大変な怪我をしたことがある、ということでしたが、救急車の中で意識を失くす直前、人生が “走馬灯のように” スライドショーで見えたのだそうです。

そのシーンはどれもこれも、すっかり忘れていた楽しい思い出だったとか。

 

じつは私も、10余年前、薬の飲み合わせを誤ったせいで危ない目に遭ったことがあるのですが、そのとき、やっぱり見たんですね、この人生の思い出のシーンの数々を、”走馬灯のように” 、高速で。

ある晩私は2種類の薬(家にあった薬と病院で出された薬)を飲んでしまったのですが(←ばか)、間もなく身体が痺れ出し、廊下で倒れ込んで動けなくなってしまいました。
それを発見した当時高校生だった娘が、驚いて泣きじゃくりながら主人を呼んできてくれ、二人が「救急車呼ぼう!」と言い、私が「いや。いい。大丈夫」と拒否・・・みたいなことをしているうちに、私の身体は末端からどんどん痺れて、全身がほとんど自由にならなくなってしまいました。ほぼ、倒れた石像。
ついに顔も頭も痺れ始めて話すことも難しくなってしまったとき、まず私の頭にかすかに浮かんだのは、「ああ、ここで死んでしまうかもしれないなぁ・・・、息子(当時中学生、もう寝てしまっていました)に会いたかったなぁ・・・」ということでしたが、その後の「走馬灯」は、なぜか、楽しいシーンばかりでした。
楽しい思い出ばかりが次々巡ってきて、「なるほど、これが死ぬ間際に見るという走馬灯か・・・」と思いました。

(何十分か後、私は回復したのですが、後日、薬を処方したドクターを訪ね、飲んだ薬を告げて調べてもらったところ、かなり危ないことをしてしまったと判りました。心臓が強かったから助かった、と言われました。
飲んだ2種類の薬のうち1つ(鎮痛剤)は、確かその翌年には販売中止になりました、飲み合わせが危険すぎる薬だったようです。
主人(Ph.D)には叱られました、処方された薬と家に保管していた薬を一緒に飲むとは・・・と。確かに。)

 

・・・というわけで、すみません、話が長くなりましたが・・・

お客さんと私、たった2人の証言ではありますが(しかも2人とも生還して元気に生きてる・・・)、
死に瀕した時に見る「走馬灯」の内容って、楽しいものばかり、幸せな場面ばかりなんです。だから・・・

いま何か辛いことを体験している人には、
「いまは辛いけど、こんなの、死ぬ前の走馬灯のシーンには採用されない」
「そのうち流れて行って消えてしまう ひとコマ」
そう思ってもらいたいです。

大抵の辛いことは、死ぬ間際に上映されないレベルのこと。
持って死んでいくようなものじゃない。
だから、遭遇して味わい次第、捨ててしまえばいい、ということでOKだと思います。

 

以上、死にかけて走馬灯を見た2人が体験から得た確信について、でした。

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