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栗原はるみさん。「息子に、おやじに依存してたんだねと言われて…」

17日・18日の朝日新聞。料理家の栗原はるみさんが、ご主人の がん闘病中、そして昨年に亡くなってからの日々のことを語っていらっしゃる記事を読みました。

余命宣告を受けたご主人と「最期まで自宅で過ごすと決めた」という栗原さんが、ご主人を失うという恐怖に苛まれながら、また、家族であっても死を覚悟した本人の恐怖や葛藤は理解できないのだろうと思いながら、最善を尽くして支え、看取ったこと、そして亡くなった後の「喪失感は壮絶」だった・・・というお話が書かれていました。

昨春くらいだったかテレビでお見かけして「あれ?随分お痩せになった・・・?」と思ったことがありましたが、あれはご主人の闘病を伏せて、じつは眠れず食べられない状況だったなかお仕事をしていた姿だったのだな・・・と思いました。

記事を読んで心に留まった箇所・・・、それは栗原さんが息子さんから「抜け殻みたい。おやじに依存していたんだね」と言われ、その言葉で初めて、ご主人への精神的な依存を自覚した、というくだりでした。
料理家として「毎年400のレシピを考案して、バリバリ仕事をしていた」栗原さんは、自分のことを自立した人間だと思っていたけれど、「そうじゃなかった。夫に依存していたんですよね。自分でも驚くほど」とありました。

精力的に、ほんとに楽しそうに、お料理や家事のことを様々な形で見せてくださっていた栗原さんですが(・・・近所にひとり熱狂的な友人がいましたっけ。北陸へ引っ越してからも、栗原さんのあれこれ(催し?)目当てに毎月のように東京へ通っていました・・・)、
でも、栗原さんの活動の原点だとか、活動の動機、原動力にしていたものが何であったのかを、今回記事を読んで改めて知って、今どれほどの喪失感の中にいらっしゃることだろう・・・と思いました。「半身を失ったような空虚さ」と表現されていました。

自分でも驚くほど夫に依存していた・・・。
これは、栗原さんのような方がおっしゃるからこそですが、すごい言葉だなぁ、尊いなぁと思いました。
栗原さんのご主人は、結婚後、栗原さんに「僕を待つだけの女の人にならないで」「自分のやりたいことを探して」とおっしゃったそうですが、”夫の帰りを待つだけの”、”自分のやりたいことなど特にない” 奥さんとは違ったからです。
でも、私たち世代くらいまでかな・・・、栗原さんは記事の中で「古風な母に育てられた私は、夫の帰りを待っていた」とおっしゃってましたが、そういうものだと思って、そうしていた奥さんは多かったよなぁ・・・とも思いました。私も、そうでした。

栗原さん、今は「前を向いて生きていきたい」と思うようになったそうですが、まだまだ揺れている、と。
丁寧に、十分に、優しく、悲嘆や喪失感を味わってから、また新たに表現して見せたいと思われた何かを、私たちに見せていただければ・・・と思います。

ところで私は、ちあきなおみさんの歌(歌唱)がとても好きなのですが、彼女は、愛するご主人が亡くなってから、一度も公の場に姿を見せず、歌うことをやめられました。
ご主人が亡くなったとき、棺に取りすがり「わたしも一緒に燃やして!」と泣いた・・・というお話があります。
今も復帰を望むファンは多いようですが、彼女にその気は毛頭ないようで、ひたすら喪に服す人生を送っているのだそうですね。

今回、栗原はるみさんの記事を読んで、「誰かに強く依存して生きる」ということを考えていた時に(もちろん良い悪いの話ではありません。むしろ 憧憬の気持ちです)、ちあきなおみさんのことを、ふと思い出しました。

ご本人が、ある人と出会って一緒に過ごし愛し合ったことが私の人生のすべてです、その人との死別の後の日々は余禄のようなものです、というふうに思うなら、それでいいですね。他人が「早く何か始めた方が・・・」とか「前へ進んでほしい」とか、言う話ではない。

人には、もうこれで十分、という誰かとの日々がある、そういう人生もあるのだ、と思います。

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