昨日のこと。朝7時、さて起きようかと思ったとき、遠くで玄関ドアがカチャッと閉まる音がしたので、
前の晩「明日からとりあえず4月半ばまで全社員がテレワークになったんだけど、明日、必要なものを取りに会社へ行ってくるよ」と言っていた主人が 出掛けて行ったんだな、早いな・・・、と思ったのですが・・・
違いました、もう、会社(往復2時間弱)へ行って帰ってきたのでした・・・(苦笑)。
でもって、休憩もせずに今度は、屋上の小さなバラ園のバラたちの手入れを始め、途中何度か、電話で会社の誰かと短い打ち合わせをしていて・・・
ゆっくり起きて来た娘にそのことを伝えたら、「お父さん、テレワーク に 薔薇ワーク・・・朝から元気だなぁ・・・」と、半ば呆れて笑ってました。
娘に言わせると、主人と私は「『せっかち選手権』ってのがあったら、シングルスでは優勝と準優勝、ダブルスでは優勝するね、間違いなく」なのだだそうですが(まぁ自覚あります・・・)、
「二人とも日頃から、まさかのスピードで必要なことを考え終えてて判断も済んでて、やることチャッチャとやっちゃって、普通の人が動き出す頃には余裕で寛いでる感じだから、今みたいな時も、焦ったり狼狽えたり疲れたり・・・そういうのが全くないね。我が家の安定感と幸福感が私はありがたいよ」とのこと。
娘の言う「我が家の安定感と幸福感」は、主人も私もそれぞれのルーティンを崩さずに暮らしていることによるのかな、と思いました。
「日課」と、それから、十分に眠り、太陽を浴びて土を触り、大層なものでなくても あぁ美味しいねと言って食事をとり、部屋を心地よい場所に保ち、人との会話を面白がり、猫を触って可愛がり、とにかくよく笑って・・・というようなことが、丈夫な「軸」、地味な「土台」になっているのだろうと思います。
あと、我が家では普段から、リスク・マネジメントという観点からのあれこれを 雑談の中でよく話している、ということに今回気づきました。
最悪の事態を想定した上で、想定し終わった上で、腹を括って活動しているから、いつも明るいのだろうな・・・。
さっき娘と主人が、「テレビで連日『自粛疲れ』って言ってるけど、行動の自粛要請のせいで疲れる・・・っていうのは私には全くないなぁ」「行動に制限がかけられることを、自分の身を自分でコントロールできなくなってきたって感じちゃう人は不安で消耗するね」「行動の自粛が自分を自粛することになるのは嫌だ。ていうか、ならない」「こういうクライシスを機に、ノーマルが大きく変わるでしょうな。興味深い」「いろいろ見直す時だね、学ばされてるね」・・・・・・と、そんな話をしていました。
私は、変人父娘の会話に、へぇ~と耳を傾けていました。
本日、対面セッションはキャンセルになりました。きょうは猫の傍らで読書に勤しみます。
この記事へのコメントはありません。