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57歳の「手ぶくろを買いに」

先週のこと。階下に住む母が、町内会の回覧板用のバインダーと名簿を手に、2階へ上がってきました。
「これがポストに入ってた」「今年度はうちが町内会の班長だって。当番が回ってきた」「今年用の回覧板の名簿を作って」と言います。

作って欲しいと言われたのは、目を通したらサインをして次のお宅へ回すための、約20軒の苗字が記された「令和2年度用のチェック表」でした。
作るのはいいけど、これ、データはないんだろうか、毎年、当番になった人が、パソコンで一から作るなり手書きをするなりしてるんだろうか、なんてこった・・・、そう思って母に質すも、要介護1の認知症の母の答えは「さあ、知らない・・・」。
だいたい、ここが「3区8班」だということも私は初めて知ったけど、この、区をとりまとめている人、回覧するものを持って来てくれる人は誰なの?と聞いても「知らない」、募金など集金がある時もあるだろうに、集めたお金を誰のところへ持って行くのか分からないんじゃ困るでしょう?と言ったら、首をかしげてフリーズ・・・。

母は、今はもう認知症を発症していますから、いろいろなことが分からなくなっているのは無理もないのですが、昔から母は内気で非社交的、近所づきあいというものをしてきておらず、特に両隣の家とは関係が悪く、訊きに行ける人がいないのでした。困りました。
私と主人が二世帯住宅に建て替えて一緒に住み始めた時には既に近所で孤立していた状態だったため、娘の私にしてみても、近所の人は「会ったら挨拶をする人」でしかなく、今回のことを尋ねる相手はおらず、どうしましょ・・・と。
でも、ポストに入っていたという「今年度はお宅が当番です」のメモの付いた回覧板と名簿を、受け取ってしまったからには なんとかしなくてはならず、母が昔から「この辺の “長老” はKさんのご主人」と言っていたのを思い出し、数軒離れたKさんのお宅を、訪ねてみることにしました。

お話ししたこともないKさんのお宅を訪ねて、出てきてくれた “長老” とそのご夫人に、やむをえず母が認知症を発症して・・・ということも含めて事情を話すと、初めは驚いていましたが、「まぁ、この辺はみんなボケた年寄り世帯。似たようなもんだ」と言ってくれ、それにしても、誰が区の長やっているかは分からない、困ったね、と言いました。
奥様が、前の家の婆さんに訊いてみよう、と言って、畑仕事をしていたお婆さんに訊きに行ってくれたのですが、はて、知らないなぁと言い、じゃあ、あそこんちの嫁さんなら分かるかも、行ってみよう、ということになり、なぜか長老夫婦と畑仕事のお婆さんと私の4人で(なんだこれ笑)、移動することになりました。
途中、道端で日向ぼっこをしていたお婆さんも「なになになに?私も行くよ」と加わって、ちょっとコントみたいになってきたなと思いながら、5人で(私と4人のご老人で)ゾロゾロと、その、”あそこんちの嫁さん” の住む、細い路地の突き当りの家へ向かったのでした。

結局、その人もご存じなくて疑問は解けず、後日少し離れた地主さんのところへ行って教えてもらう・・・ということになったのですが、皆さんにお詫びとお礼を述べて帰ろうとしたら、「Tさん(私の母)のとこには、こんなに大きい立派な娘さんがいたんだね、知らんかった」「しっかりもんでお母さんも安心だ」「あそこのSさんちとMさんちは日曜の晩しか居ないから集金はちょっと大変だよ」「でも班長になったからって気負わずにね」「なんかあったら言いに来て」などなど、いろいろなことを言われ、気遣われ、励まされ、しまいには「お茶飲みしていきなさい」「獲れたての白菜持ってくか?」と言っていただいたりして・・・(笑)
母がいつも言っていた「”長老” は厳しくて怖い」「あそこんちの奥さんは感じ悪い」「あそこは変わり者だから話にならない」は何だったんだろう・・・と思いました。
私はこれまで、そんな母の話を鵜呑みにして、へぇそんな人たちばっかりなんだ、その辺ですれ違う人には挨拶だけしておこう・・・というふうに思ってたけど、それは “母にとってのご近所さん”、”母の感じ方” だったのだな、と、今さらですが知ることになりました。

皆さん、親切で優しかった。母の言うような人たちじゃなかった。

『手ぶくろを買いに』という新見南吉の名作童話がありますね。
「にんげんは怖いものなんだ」と自分の経験からそう信じていて、子ぎつねにもそう言ってきかせた母ぎつねと、街の帽子屋さんで間違ってキツネの手のほうを出してしまったのに ちゃんと手袋を売ってもらい、「にんげんは、ちっとも怖くなかった」と言った子ぎつね・・・。

先週のあの出来事は、57歳の私の「手ぶくろを買いに」だったな・・・と思いました。

私と妹たち、3人娘が子どもの頃に母親から聞かされていた「にんげん」は、怖かったし信じられるものじゃなかった気がします。母親の言うことや外向きの態度から、なんとなくそう学びました。
で、大きくなるにつれそれぞれが、恐る恐る「ん?お母さん、にんげんって、怖いもんじゃないよ?」という体験をしながら、世界を広げていったのだなぁと思います。

子どもというのは、親が掛けているのと同じメガネを掛けて、世の中を眺め、にんげんを眺め、なるほどそういうものなんだな・・・と学びますが、そのことを意識できないと、いい年になっても親から借りたメガネを掛けたままにしている・・・ということもある。
そのことが身に沁みた出来事でした。

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