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天性の癒し人

(酷いな。なにもそんな言い方をしなくたって・・・)
(それは誤解だけど、そうか、そんなふうに思ってたのか・・・)

私に関する ある近しい人の思いを 別の人から聞いてしまう・・・という機会がありまして、久々に、ざわざわと穏やかではない気持ちになりました。
その内容(特にその表現)は事実とは違っていて ちょっと馬鹿にしたものだっただけに、悔しさや悲しさが “器に満杯” と感じました。
なので、自分の心の手当てとして、近いうちに反論しておこうかな・・・、でもエレガントな感じの悪くない言い方でそれは可能だろうか・・・、ああ、もう放っておこうか・・・、いや、それではいくらなんでも・・・(ぐるぐる、ぐるぐる・・・)と、そんな迷いが、その日はずっと続きました、その夜もあまり眠れず・・・(←眠れない、などということは、これまでの人生を振り返っても、ほとんどありません)。

で、めずらしく “引きずったまま” 目覚めた昨日・・・。
昼下がりに長崎にいる息子から、「黄金だし」の取り方なんだけど・・・、という呑気な電話がかかってきたのですね。
(ホテル勤めの息子は現在自宅待機中で、暇なのです。日々、料理の勉強に勤しんでいるもよう・・・。)

その電話の際 私は、そうだちょっと息子に訊いてみよう、と思い、
母さん今こういうわけで嫌な気持ちでいるのだけれど、これは相手に話をしてよいものだろうか、黙っておいたほうがよいと思う?
と尋ねてみました。
その “相手” が息子もよく知っている人だったこともありますが、穏やかで優しく達観しているところのある27歳男子なので、息子なら何と言うだろうか・・・と思ったのです。

息子は、時折質問を入れながら話を聴き取って、まずは私の辛さを思いやり、それにしてもその人がそう言ったことや何をしようとしているかは掴めないよね、ナゾだなぁ・・・と言い、うーーむと唸って考え、その上で、
「俺だったらたぶん、暫定的にだけど、もう見限ることにする。その人は現状ではそれが精いっぱいなんだろうし、きっと言っても伝わらないから。いつか解る日が来てアプローチがあったら、気持ち次第で関係が再開するだろうし、それが無かったらそれまでだったってことなんだって考える。たぶん」
そう言いました。

驚いたのですが私は、息子との話が終わった時、すっかり楽に爽やかになっていました。
悔しさとか憤りとか哀しみとか・・・、心に繰り返し湧いていた感情が、ほんとうにもう見当たらなくなっていたのです。

息子はもちろん、カウンセラーの心得みたいなもの(「受容と共感」などの基本技術)を使ったわけではなく(そんなの知らないし)、ただただ、彼らしく母親の話につきあって、思ったことを正直に言ってくれただけだったのでしょうが、
ああ息子はすごいなぁ、最近、いろんな人からなぜか相談される・・・と言ってたけど、そうだろうな、こういうことをもたらしちゃう人なんだものな・・・と、ちょっと感動してしまいました。

ありがとうね、すごくスッキリしたよ、と言って電話を切ろうとしたら、「どういたしまして、今は毎日ヒマなので、いつでもどうぞ」と言い、さらに、
「今日も近くの木立ちで鳥が鳴いてるんだー、可愛いよ。人間の世界は新コロ禍で大変だけど、鳥には関係ない。今日も可愛い。癒される」
と言いました。

息子は、顔がムダに美少年で、ホテルのお客様に一緒に 写真を撮って♪と言われて応じ、よくチップをいただくんだ、でもおば様・おばあちゃまからしかモテない、などと言っていましたが、そういう華やかな見た目とは違って、中身は “お爺さん” “hermit (隠者)” “賢老人” ぽい人なのですね。

純粋で、小さい頃から人を悪く言わないというか悪く思わない子で、気が弱く心理的に引きこもりやすいところがあるのですが、その優しさと 癒し人である天分、その物を見る確かな目を大切に歩いていってほしいと、今回、思いがけず癒されて感謝して、心から思いました。

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