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人生の脚本

私の親は「毒親」でした、そのせいで私はこういう傷を負っています、というお話を伺う時、その内容が、うんと酷いものであればあるほど、私はその方に対して、この方はこの人生で、難易度の高い課題をクリアしたくて、あえてそういうご両親のところに生まれることにしたのだな・・・、生まれてくるときの覚悟、意気込みが強かったのだな・・・という思いを持ちます。やる気満々で生まれてきたのですね、と。

子どもの頃どれだけ酷い目に遭ってきたかについて、気づいて語れることは、よいのです。
気づくことができず(”親には感謝しなくちゃいけない” という強い思い込みのせいなどで)、自分の生きにくさの原因を他のことの中に見出そうとして彷徨っている段階は脱したのですから。

でも、そこからなのですね。
子どもの頃に書きあげて、以来信じて使ってきた「人生の物語」の「脚本(※)」は、大抵 単純で浅くて雑なものになっているはずで、それは、大人の私が、自分主体の、起伏に富んだ、深みのある面白いものに 書き換えられる、書き換えていくのが本当なんだと知らなくてはいけない。
(※)交流分析という心理療法の理論がありますが、交流分析にも「人生脚本」という概念があります。私はカウンセリングに、この交流分析の考え方をベースに用いることが多いです。

つまり、
「私は不運にもこういう親の元に生まれて傷を負ったし力を奪われてしまったので、こんなに不幸な人生を送ることになりました。私は親を恨んでいます。」
を、いつまでもあなたの物語の筋書きにしておくことはない、ということです。

そこまでは序章、仕込みのところの部分だし、いよいよ本章が始まる、始められるのです。
そもそも、”たまたま” “運悪く” 酷い親を引き当ててしまった・・・のではなく、あなたの「計画通り」のはずなのです、冗談じゃない!と思うかもしれませんが。

親というのは、いい塩梅の、絶妙な、傷を付けてくれるものなのです。
私自身、それを思い知り受け入れたのは40代になってからのことでしたが、なるほど、そういう傷を付けてもらうことが、自分の本テーマを考えたら必要だったわけだ、それであの二人を両親に持ったのだ、と・・・。もちろん「やれやれ」感はありましたが・・・。

そんなこと言われても困る、そもそも負っている傷が深すぎる、疲れすぎている・・・という人を支援するために、カウンセラーはいます。上手に使っていただきたいと思います。

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