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愛猫20歳を見送りました

愛猫(20歳10か月)が亡くなりました。
人間でいうと100歳を超えていましたので、もういつお別れの時が来てもおかしくないんだと覚悟はしていましたが、元気にしていましたから、「9月で21歳だよ、スゴいね」などと話していたのですが、寿命がきてしまいました。

このひと月くらいかな、急に衰えて、視力も聴力もほぼ無くなって、私の座る椅子の足元に とてっと横たわって過ごすばかりになっていました。
そして数日前、いよいよエサも水も受け付けなくなり、あぁここまでだったか・・・と。

犬や猫を飼った方がよくおっしゃいますが、可愛がったペットというのは旅立つタイミングをちゃんと計って行きますね。
我が家で飼った3匹(犬、猫、猫)もみんな、家族が帰宅するのを待って旅立ちました。
今回も、間に合わないかなぁと焦って帰ったらまだ息があり、2時間ばかり傍らで触れたり言葉掛けをしたりする時間がとれました。
葬儀も “この日、この時間じゃないと家族揃っては送れない” という日に、行うことができました。

私は、息を引き取る間際に少し交信することができて、思いがけずメッセージをもらいました。
家族に、粋な無形のプレゼントも残してくれたんです。
なるほどね、やるなぁ・・・と唸ってしまった(笑)

昨秋11歳で死んだ子は、”お茶目で懐っこい” というタイプの子でしたが、20歳で死んだこの子は対照的で、怜悧でノーブルな雰囲気、何かとお見通しというかんじの子でした。
私がこの子を、生後1日目の臍の緒の付いた状態でゴミ袋に入れて捨てられていたのを拾ってきて育てた話は以前書きましたが、
その1999年、私が37歳だった時からずっと、我が家を世界のすべてとして、私たち家族と一緒に、暮らしてきました。

自分のこの20年の紆余曲折っぷり、我が家の大事件・小事件を振り返ると、
あぁ、あんなときもこんなときも・・・本当にいつでも、この子は私と家族に起きた全てを、黙って見てくれていたのだなぁ・・・と、しみじみしてしまいます。良い環境とは言えない時期もあったに違いないです。
ともかく私たち家族は、賢くて愛らしいこの子の存在に、すごく癒され助けられました。
“人間ではない家族” を持つということの素晴らしさも、たくさん教えてもらいました。
ほんとに楽しい20年でした。

今はまだ、居ないことに慣れていないので、つい探してしまいます。
寂しさに襲われるのは、少し先になるような・・・。

私と出会ってくれて、うちに来てくれて、ありがとう。
ほんとに長きにわたり、ありがとう。
ありがとうが、あとからあとから湧いてきます。

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