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自分を虐める自分と、自分に虐められてる自分

私は劣等感が強いです。
私は自分のことが嫌いです。

そのように言う人ほど、「優越感を持ちたい」という欲求、「自分を好きになりたい」という欲求を強く持っています。
それなのに、わざわざ自分が傷つくこと、自分が悲しくなることを、自分に対して言い続け、やり続けています。
なぜなんでしょう・・・。

「自分で自分を傷つけている」・・・。この自覚を持てる人はいると思いますが、自分の中には、じつは同時に「自分から傷つけられている」自分が存在している、ということに無自覚な人がほとんどです。

わたしの中には、虐めてる自分と、虐められている自分がいる。
どちらも自分なのに、私たちは、つい、虐めている側に立ち、ダメな自分、弱い自分を攻撃してしまうし、虐められている方の自分の味方が出来ません。冷たいです。「変わってくれ。さもなくば消えてくれ」という冷たさ。

たとえば、
自分は頭が悪くて仕事が出来ない、と思っている人が、「こんな自分だからダメなんだ!」「どうして自分はこんなに不出来なんだ!?」と自分を責め、裁いて、よけいに自分を弱らせている、ということです。
ほんとは、「もっと努力して少しでも頭のよい人になって優秀でかけがえのない人材になりたいなぁ」「がんばろう☆」と素直に思って精進すればいいだけのに。

また、たとえば、
自分は不細工だから何かと損をしている、と思い込んでいる人が、「こんなブスじゃ、一生恋人なんてできないし不幸のままだ」「まったく、こんな顔に産んだ親を怨むよ」と自分を貶して呪いの言葉をかけている、ということです。
ほんとは、「こんなふうに工夫すると、なかなかの見た目になるよね」「絶世の美人にはなれなくても、笑顔がいいねって褒められる。ますます口角上げていこー☆」って、自分のこと認めてあげられたらいいのに。

この、自分を責めたり貶めたり罵ったりする やり方というのは、じつは「無知」「幼さ」によるものと言えます。
劣等感を持った自分、自分に嫌われている自分を、脅したり発奮させたりすれば「頭のいい自分」「美しい自分」になれるというわけじゃないのに、それが分からず “無駄に” 効果のないことをし続けているわけだからです。

叩いて思い知らせたってダメなのです。
どんなに気に食わない自分も自分。労って、褒めて、無条件に大事に思って、そして一緒に連れて行かなくては。

虐めてる方の自分も、虐められてる方の自分も、どちらも自分ですよ、というお話でした。

 

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