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「復讐に生きる」のはお勧めしない

どうしても晴らしたい思いがあるとして。
それが誰かへの復讐だとして。

そういうことについてのご相談(どんなやり方が一番良いのか、という相談)がある時は、もちろん親身になって、その人の意思を細かく聴きとっていくことをしますけれど、その相談というのはじつは、復讐の応援をして欲しいという意味ではなく、苦しくて辛くて堪らないからそれを思いついたけど、止めてくれないでしょうか? という意味で仰っていることが多いです。酷い目に遭わせたいと思っている相手は大抵、その人にとって重要な人だったりしますし。
(だから、”真に受けて” 一緒になって復讐のやり方を考えているようでは・・・です、当然ですが。)

でも、復讐してやりたい、これからは復讐に生きていきたいんだ、というお話を聞いていると、そう思うのは無理もないよね、相手の好きにはさせたくないよね、できることならトドメさしたいと思うよね、と思うことも、正直、あります。
それでもそれを、踏みとどまってほしい、できることなら「もう、どうでもいい」と思えるようになってほしいと思うので、あれこれ働きかけてみます。

半沢直樹の「やられたらやり返す。倍返しだ!」は良いのです、そういう主義、方針で自分の人生を力強く歩いていっているわけなので。
でも、復讐してやりたいと思うような相手に、自分の人生の限られた時間を費やすことはないでしょう。
それでも、自分の人生の残り時間を全部使ってでも、どうしても思い知らせたい?、痛い目に遭わせたい?
うーん、その相手はきっと、ほんとに “思い知る” ことなどないし、貴方が思うほどの “痛い目” には遭わないと思います。瞬間的に、痛かったり まいったなと思ったりはするでしょうけど・・・。

天罰くだれ!くらいの思いを吐き捨てて、あとは先へと進んでほしいと思います。
罰は天にお任せしたほうがいい。天に代わって罰を与えんとして、そんな場所に、いつまでも居ることはないです。

攻撃しようとしているときは、自分の胸に手を当てるとよいですよ。
報われなかった切実な思い、本当はこうしてほしい、という思いが、じつはあるはずだから。

攻撃を、復讐を、しようとしている人はみんな傷ついています、泣いています。
泣いてる自分を、放っておかないでください。

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