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後悔を味わう

今月に入ってから何度か、家の外で子猫が鳴いている声を聞きました。
まだ生後1~2か月かな?と思われる小さな子猫の声でした。「にゃー」じゃなくて「みぃみぃ」。

すぐに見に行きたい衝動に駆られましたが、私の家では昨年と今年、飼い猫2匹が死んで、私はもう2度と猫は飼わないと決めていましたから、ぐっと堪えました。
どこで鳴いているのかを突き止めに行ったりしないぞ、姿を見ちゃダメだ、と思い我慢したのですが、2日が限界でした(苦笑)。
3日目には娘も気になって探しに行ってしまい、数軒離れたお付き合いのない家の濡れ縁の下にお母さん猫と一緒に居るのを見つけた、というので、耐えられずに見に行ってしまいました。

見たらやっぱり、ほんとに小さな子猫でした、卒乳したかどうかギリギリくらいの、手のひらサイズ。
植木鉢の陰にお母さん猫と居て、お母さんがどこかへ行く度に、みぃみぃ鳴いていたのでした。

そのお宅の人は、積極的に面倒は見ていないようでしたが追い払うことはせず、たぶん寝床用にと段ボール箱を用意してくれたようでしたので、娘と、とりあえずときどき見に行って見守ろう、ということにしました。

でも、娘(←いま毎日家に居ます)は、頼んでないのに出先の私に逐一LINEでレポートしてくるんですね、「お母さん猫が子猫を置いてどこかに行ってばっかり」「子猫、寒い中ひとりで可哀相」「やっと2匹で居るところが撮れたから画像送る」「なんか子猫が弱ってる気がする」などと・・・。うわあああ!やめてえええええ!

で、その晩、夜中に鳴き声を聞いた私、耐えられなくなって、家にあったサバ缶を塩抜きして持って行ってしまったんですね、そのお宅の敷地に侵入するわけにはいかないので、フェンス越しにポトンと落として帰ってきたのですが・・・。
お母さん猫に食べてほしい、食べ物探しに行くために遠出せず、できるだけ子猫と一緒にいてほしい、と思って。

翌朝、呆れられると思いながら娘にそのことを告白したら、なんと娘は娘で、じつは朝方4時(!)にコンビニに行って猫缶を買ってきて置いてきた、さらに、なんだったらエサを辿って我が家まで来てくれるように、トトロのメイちゃんのドングリのように、ヘンゼルとグレーテルのパンくずのように、エサをポトリポトリと道に落としてきた、そしたらたぶんその作戦は成功して、我が家の敷地に置いたエサが大方食べられてなくなってた!と嬉しそうに言うのです。

私も私なら、娘も娘だった・・・。

まったくもう、私たち、なーーにをやってるんだかね、と笑い合い、まぁ、もうこれ以上放っておけないよね、ウチに寝床とエサ置き場を設置して、お母さん猫と子猫に引っ越して来てもらおう、あのお宅の外で接触できたら連れてくるか、もう いっそ訪ねていって「猫、もらっていいですか?」って訊いてみない? などと話しました。

でも、そうは言いつつ、私の方は「飼う」ということに躊躇いがあり、娘の方も、自分は来年には家を出てしまうのだから・・・という思いがあり、なんとなく、直ぐに動く、ということをしませんでした。
これは、私にとっても娘にとっても、とても珍しいことでした。私たちは “すぐやる課” の人間で、特に生き物や子どものことになると熱いので・・・。

でもその日の晩、弱々しい鳴き声が聞こえた気がして向かったときも、それ以降も、子猫は二度と確認できませんでした。
お母さん猫の方は、それから2日ほど経って、我が家のガレージに用意したエサを食べに現れ、まだ距離は縮められませんが、今日まで毎日来てくれているようです。
これからも、エサと水と、フリース敷きの段ボールハウスは置いたままにしておきますが、どうかな、どこか別の場所に ねぐら はあるるのかな・・・。
お母さん、子猫いなくなっちゃったね・・・。体調は、大丈夫?

子猫は、あの家の人が誰かにあげてしまったのか、それとも、もしかして死んでしまったのか・・・と考えてしまいます。
娘も、「ああ、久々に『後悔』ってものを味わってるよ」「やってしまって失敗した!ってのはいいけど、行動しなかったことを後悔するってのは嫌なもんだな。ほんと反省してる」と言っています。

子猫を守りたかったのにそれをしなかった。
その結果を味わっているところです。
なかなか堪えます。

だからこの気持ちは忘れずにいようと娘と話しました、もう忘れちゃおう、じゃなくて。
そして、(野良猫にエサなどやるなと非難する人もいるだろうけど)私たちは、生きようとする命が弱っていたら迷わず手助けする人でいよう、自分の温かいところから出てくるものには素直に従って動こう、そう話しました。

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