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自分の「怒り」を大切にする

ときどき書いていることですが、最近幾つかのセッションで「怒り」の話をしたので、こちらにも書いておきます。

「怒り」というのは、ぶつけられる人はもちろん、直接関係のない人からも、そして自分自身からも、歓迎されません。
だから大抵の人は、その表現の仕方、発散の仕方に気を遣うし、その怒りの持つエネルギーが大きそうだ、手に負えなさそうで厄介だ・・・となれば、その存在を箱詰めにして重い蓋をして目に付かない所に隠す・・・ということをします。
そうやって、自分の居場所で、疎まれず安全に暮らしていこうとするわけです。

だけど、いつも言うことですが、感情に良いも悪いもなく、感情はどんなものであっても、その存在を(ジャッジしたり裁いたりすることなく)そのままに見て、そして素直に感じ切ることが大事です。

忘れていた怒りが何かの拍子に “どこかからやってきて” 驚いた・・・という経験をしたことがある方もいるでしょう。
感情というのは、感じ切らない限り、決して無くなりません。
在るものは在る、何年でも何十年でも自分の中に在る、のです。

たとえば、腹が立って腹が立って仕方がない、胸糞が悪い、怒髪天を衝くとはこのことだ、どうにもこうにも許せない・・・
そういうことがあったとき、その強い感情に慄いて、あるいは持て余して、それをつい否定してしまう、ということがあるかもしれません。
でもどうか、「自分は、どんなものであれ自分の感情を大切に扱う」と、予め自分と約束しておいてほしいと思います。
抱え持っているのが苦しいからと言って、無視したり、おかしな加工をしたり、強い抑圧を掛けたりしないでください。怒りを悪者扱いしないでください。

きょうび、とかく怒りはコントロールするもの、怒りはマネジメントが大事、ということにされがちですが(知性の高い、現代社会をスマートに生きているつもりの人たちはそういうのが好き・・・かもしれません)、でも私は、コントロールとかマネジメントとか言う前に、まずはその怒りを ちゃんと見ましょう、と言いたいです。

「怒りは怒りを呼ぶ」「連鎖する」「怒りでは変われない」「許しましょう」みたいなことを説いてくる人もいるかもしれませんが、そんなことを、傷ついて怒って許せない思いに苦しんでいるあなたに言ってくるのであれば、その人は、それがどれだけ無神経で軽薄な発言であるかも分からない段階の人、ということになります。言わせておきましょう。そして堂々と、怒ってください。許せない気持ちに自分で共感を送りましょう。

私は傷ついている、許せない、猛烈に怒っている・・・。そういうことがあるならそれを、ちゃんと自分の正面に持って来て、しっかり向き合うことです。
ひとつひとつの怒りをちゃんと扱うことをしないで仕舞い込んでしまうクセ、溜め込むクセを持っている人は、なんとなく不機嫌で何時でも何に対しても怒っているかんじの人になってしまいます。
そして身体にも影響が出ます。肩や背中(=怒りを隠す場所)が凝るし、肝臓(=怒りを溜める臓器)を悪くします。
いやですね。

どんなものでも自分の中に在るものは 大切な自分のものであって、蔑ろにせず大切にされるべき。私はそう思います。

一人では怖くて向き合えない、どうしていいやら分からない、という方は、安全に解放していくお手伝いをしますから、ご相談ください。

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