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「憎しみから解放されたい」

誰かに向かう憎しみの念についてのお話。
ご本人は「もう許したいのに…」「解放されるにはどうしたら…?」という方向でお話をされます。
憎悪というのは酷く疲れます。自分でも嫌になってきてしまいます。だから、もう許したい、解放されたい、と思う…。
これはよく解るのですが、お話を伺うと、本当はまだまだ許したくないのだな、もっと憎みたいのに “憎しみを抱えて居る場所” が《底なし沼》のように思われて怖くなっているのだな…と感じることも少なくありません。
そういうときは、エネルギーの補充ができるようなら…ですが(憎むと、ほんとに消耗します)、もっとちゃんと憎んだ方がよいのかもしれないですね、というお話をします。嘘を言って誤魔化しても、結局は抜け出せなかった、ますます苦しい…ということになるからです。

でも、憎しみというのは、育ててしまうと育ってしまうと言いますか、上に「底なし沼」と書きましたが、ほんとうに、まさに「沼」にどっぷり…ということになりますし、従ってそれは「癖」…考え方、生き方の癖…になり、全ての思いや活動が、その「沼」の中から始めるものになってしまいますから、やはり、限りある人生の時間がもったいないでしょう。

そうは言っても「憎いものは憎い」そしてそれは「苦しい」。
そんなときは、カウンセリングやセラピー、なんらかのワークを使ってみるのはお勧めです。それを契機に、解放、解決へ大きく進むこともあると思います。
ただしこれは、当たり前ですが、憎い相手をどうこうする…という話ではなく、向き合う対象は自分、ということになります。「あの憎き相手がこんなふうに変わってくれたら私は楽になるのに…」という思いを抱くのは分からなくはないですが…。

憎しみというものは、自分がやるべきことに全力を尽くして自分の人生を進めているときには抱きません(抱き続けられるものではない)。相手の在り様に自分の人生を委ねているとき、依存しているときに抱くもの。
私はそう考えます。

 

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