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過度な「役に立ちたい」「期待に応えたい」は…

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【対面セッション休止期間: 7月21日(水)~8月15日(日)

誰でも「人の役に立ちたい」「人の期待に応えたい」という気持ちは持っているかと思います。
それが日々の活動の原動力です、という方もいるでしょう。

でももし、自分のその思いはちょっと行き過ぎているかも…、自分はそんな思いで頑張ってきたけれど、なんだか疲れてしまったし、虚しい…、というふうに感じたら、自分の「役に立ちたい」「期待に応えたい」気持ちの出処を、観察してみてください。

一見、明るくて暖かくて力強いはずの「役に立ちたい」「期待に応えたい」は、自分の「無力さ」や「無価値感」が張り付いたものであることが分かると思うのですが、どうでしょうか。

“役に立たない自分” が許せない。(だって、役立たずな自分など愛されるはずがない。きっと見捨てられる。)
“期待に応えられない自分” が怖い。(だって、期待に応えられない自分、相手を喜ばせることのできない自分など愛されるはずがない。きっと見捨てられる)

何を頑張るにせよ、一生懸命努力するにせよ、その動機が、歓びや純粋な愛でなく、不安や恐怖であるなら、それは伸びて拡大していくことはないでしょう、花が咲かない、実を付けない。

自分の心についたままになっている 傷 に気づくことです。
どこかの時点で思い込んでしまった「○○が出来ない自分など愛されるはずがない」という “信念” を、手放していくことです。

それが出来たら必ず、人との間にある「境界線」がハッキリとわかり、そこを超えて奉仕したり人に尽くしたりすることがなくなります。
それでいい、そういうものなのだ、自分に注ぎ、自分が幸せでいればいいんだ…、その確信を得たら、本当に楽になります。何かが上手くいかなくても、失敗や挫折があろうともOK、なんたって「自分の意思で自分の望みに沿って歩いている人生」なのですから。

人との境界線を踏み越えて、”人様の陣地で” 相手のために頑張ったり、逆に、誰かに境界線を踏み越えて入ってこられることを許してしまったりいるなら是非、ご自分の「境界線」「自分軸」というものが曖昧になっていないかを、確認してみてください。

「○○が出来ないようでは、私は捨てられる、居場所を失う」という思い込み、恐れは、”ほんのりと持っている” 人を含めたら、たくさんの人が持っているように思います。

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