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他人の中に見ているものは必ず自分の中にある

*「対面セッション休止」延長のお知らせ*
7月21日(水)より 銀座での対面セッションを休止しておりますが、新型コロナ感染症の流行状況を考慮し、引き続き「対面セッションは休止」とさせていただきます。
当面はオンライン・セッションもしくはメール相談をご利用ください。
再開を決めました際にはまたお知らせいたします。ご不便をおかけしますが宜しくお願いいたします。
ご質問等ございましたら、お気軽にメールにてご連絡くださいませ。

すぐに人の落ち度を見つけては攻撃してしまう…という人が、自分が持っていた「罪悪感」に気づいて動揺する…というようなことが、ときどき、セッションの中で起こります。

自分はどこへ行っても周りの人から嫌われてしまう、と言っていた人が、自分の中に在った「人への嫌悪感」に気づく、ということもあるし、
他人を不必要に評価し見下すようなところのある人に、実は「強い劣等感」が見つかる、ということもあります。

これらは、心理学で「投影」そして「シャドウ」と言われるものです。
本当は自分の中にあるものなんだけれど、その感情は とうの昔に 自分から切り離して埋めてしまったもので、”亡きもの” にしているものです。
ずっと昔に、そんなものは自分の中にはない、ということにしたのには必ず訳があります。
そんな感情を表したら酷い目に遭う、嫌われてしまう、居場所を失う、危険…、そんな体験を必ずしています。だから、無かったことにして(自分から切り離して、埋めて)生きてきたのです。

でも、いつも言うことですが、感情というのはその時にそのままを感じてあげないと消えることはないし、欲求は抑圧し過ぎると捻じれたり歪んだりして後々おかしな(困った)形で外へ出ることになるし、隠したはずのサブ人格は、統合されたがっています。

だから、”本当は自分の中に在るのに無かったことにしているもの” は、どうしても「自分の外側に見る」ことになるわけです(投影)。

そういう心のしくみを知って、まずは、他者の中に見ている 嫌なところ、憎悪してしまうところ、なぜかイライラ、ざわざわさせられる…というところは、必ず自分も持っているんだ、と認めるとよいです。
なぜそれを、あるのに隠してきたのか、埋めて切り離してきたのか、感じたらどんな痛みがあるのか…、それを見ていくことです。勇気と慈愛が必要な作業ですが、自由や安心感を手に入れていくことに繋がっていく、とても価値のある作業です。

「私は、投影したもの(シャドウ)を敵に見立てて闘い続けている…?」ということに、うっすら気づけたら、取り組んでみましょう。
取り組んで、あなたのパワーを取り戻しましょう。
疲れるばかりなのです、シャドウとの闘いは。

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