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「いま」「ここ」に、全力でいること

子育て中に撮影したビデオテープ。
S-VHSとかVHS-CとかHi-8とか…何種類ものテープが、大量にありました。
それをこの度、ダビング・サービスに出しまして、戻って来たものの一部を、見てみたのですが…。

今はスマホなどでささっと気軽に撮影できますが、当時の撮影はどうしても、ハレの日、旅行や学校行事のときが中心でした。
それでも、なんということのない日常の、子どもと一緒にいるときの様子もちょこちょこ撮っていて、そこには、子どもたちの可愛い様子や、自分の一生懸命さが映っていました。

そして、自分が “うわの空” で子どもに接しているところも映っていました。撮影者は夫ですね。
それを見ながら、「子どもが話しかけてるのに、そのツレなさはなんなんだ?」「ちゃんと目を見ようよ」「そこは抱っこでしょ」と、30歳前後の自分に幾度もツッコんで、それから、しゅんとしてしまいました。

なんで私は、あのとき、子どものいるあの時、あの場所に、100%の自分でいてあげられなかったんだろう…、
あんなに自分を求めて「おかあさん」「おかあさん」と呼んでくれた子たちを適当にあしらうようなことをして、どんな別のことを考えていたんだろう…、
そんなふうに思って、自分の未熟さが悲しかったです。

あれはあれで一生懸命よくやってたとも思うのですが、子どもとの時間を粗末にしているように見える映像には、胸が痛みました。
娘よ、息子よ、ほんとごめん、と思いました。

***

いつもいつも、ちゃんと「いま」に居る、「ここ」に居る、というのは難しいです。
思考が、過去や未来へ、ここでないどこかへ、飛んでいってしまうことが、どうしても あります。
特に、気持ちが辛くなったり、退屈になったり…、無意識に「いま・ここに自分の欲しいものが無いなぁ…(どこにあるかなぁ…)」って思ってしまうようなとき、心は肉体を抜け出してしまいがち。

私も、これまでに「いま・ここ」を大切にできなかった自分に後悔したことが、何度もあります。
「家に居る時に旅先を想い、旅に出たら家を想う」という言葉がありますが、そんなかんじ。

しかし…、肉体の中にいて活動するのが人生なのだから、やっぱり、肉体と心がズレることや、肉体を留守にして心だけトリップしちゃうことは出来るだけないように、意識して過ごさねば、と思います。

かけがえのない思い出も、希望に溢れる未来も、大事。
でもやっぱり、「いま・ここ」での、気持ちを込め身体を使っての体験が、いちばん大事。
そう思います。

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