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操りも操られもしない

何か、やりたいことがある、手に入れたいものがある、という揺るがない思いを持って活動している人というのは、たとえ傍から見て「なんとけったいなことよ…」という状態でも、大失敗をしても、衣食住などの基本的な生活が低水準にしか保てていなくても、疲れ知らずで生き生きしていて、幸せそうです。

一方、「○○したい」ではなくて、「△△しなくては」ばっかりで生きている人は、たとえ、特に問題はなさそうな、そこそこ良い暮らしができていたとしても、生気が足らず、どことなく不満げで、幸せそうではありません。実際、なぜか辛いことが次々とやってくるのです、という人も。

いつも「しなくては」で生きていて、そして、いつだって努力しているのに慢性的に欲求不満だ、という人は大抵、子どもの頃、親の欲求を叶えるためによく動いた、操り人形としての生活をしています。
子どもにとって親は絶対だし、親は操るときとても「正しいこと」を言うから逆らえずに、操られていたと思います。

そうして、長い間 操られていた人は、大人になっても “しなくてはならないこと” が必要になります。
ほんとは自由なはずなんだけど、「やりたいこと」じゃなくて「しなくちゃいけないこと」を探します。
そしてそれをこなし続けながら、私の生活は忙しいばかりで虚しい、と言います。やりたいことなんて特にないです、と言います。
誰か、何かに操られている状態が楽なんです。そうじゃないと不安だし、困ってしまう…。

それから、”元・操り人形” 、あるいは “今もなお操り人形” の人は、知らないうちに怒り・恨みを溜めています。
だから、「思いどおりに動かせる誰か」「操れる誰か」を見つけたときには、すかさずその対象をコントロールしようとします。
無自覚ながら苦しくてしょうがないから…でもあるし、人間関係なんてそんなもの(操る人と操られる人の関わり合い)としか捉えられないからです。

全然違う、知らなかった生き方、知らなかった世界は、すぐそばにあります。
みんな、自分の人生を生きています。誰かと出会って、触れ合って刺激し合い、衝突したり力を合わせたり何か作り出したりしながらも、それぞれの人生をやっている世界です。
移り方がわかれば、移れます。

操りも操られもしない、「私は〇○がしたい!」の人生を…☆

 

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