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いきなり核心には行かれないけれど

身に起きている様々なトラブル、困りごとを解決したくてご相談に来られる方(来られる…といっても現在は殆どがオンラインセッションになっていますが…)の、問題の大元は別にある、奥にある、ということは、とても多いものです。

その方は、たとえば「会社の上司に理不尽な目に遭わされている」、「ママ友たちに仲間外れにされている」、「夫が私の気持ちを理解してくれない」とご相談事を持ってこられたとき、その事象によって味わっている感情や思い(腹が立つ、とか、不安だ、とか、寂しい、とか…)、それは大抵、既に体験済みであり、馴染みのあるものである、ということです。
もし、こんな目に遭ったのは初めてです、とおっしゃったとしても、じつは “初めてのことではない” です。

これは、多くの場合、根本、大元のところにある(いる)のは「親」ということになるのですが、その「親」との間にあったことが深刻で、大いに傷ついている、じつは無自覚ながら今なお癒えていない傷を持っている、というケースにおいては、その度合いが深いほど、ご本人は気づけません。

どうして気づけないかというと、「子どもだった私」にとっては、あまりにも重大で恐ろしい、太刀打ちできなさそうなことだったし、それが幼い人間だった私にとって、どうであれ唯一無二の大切な人だったから…、だからその辛さは、圧縮してパッキングして、そして深いところに埋めてしまった…、ということでしょう。
自分から切り離した(切り離したつもりになっている)ということもあるでしょう。

でも、気づかないようにしたはず、無かったことにしたはずなのに、”随分といい歳の大人” になったはずなのに、やっぱり「あるものはある」から、外へ出てきます。
それが、”親ではない誰か” との間で体験する困りごと、悩みごとです。
いま身の回りにいて関係している人に登場人物(敵役、わき役)をやってもらって、自分が主役のドラマを作って演じながら、親との間にある未解決の感情を、ほんのり再体験している…ということもできます。

いきなり核心のところへは行かれない。
それは当然です。
自分にとっての本当に重い大事なことなのですもの、簡単に近づけない、と無意識が判断して、逃げ回っているとしても無理もないです。

ただ、誰かとの間に繰り返される感情的な辛い問題は、バラバラに意味なく存在していない、ということは理解しておきたいと思います。
いまは いま起きている問題の解決を目指す、ということでよいし、解決できたら「はなまる」をあげてほしい。
でも、その毎度毎度の問題が知らせようとしてくれている本当の問題、核心の問題については、いつか時が来たら眺めるんだ、向き合うんだ、と思って、いまは適当なフォルダーに収めておく…、そんなイメージを持っておくとよいと思います。

無理せず、でも確実に、核心に迫っていきましょう。
一生とぼけたまま、眠ったまま、”まぁそれなりに…” な人生をやり過ごしたところで…、と思う私からのお勧めです。

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