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また一つ問われた

今月に入って、視覚に障害をお持ちの方とセッションする機会が、二度ありました。
お一人は白杖をお使いの方、もうお一人は盲導犬ユーザーの方。

カウンセリングをしていると、ある共通項をお持ちのお客様が続けていらっしゃる…というのは よくあることなのですが(同業の方はきっと心当たりがあることでしょう)、視覚障害のある方が続いた…というのは初めてで、続けてご縁を頂いたその意味を考えながら、この何日かを過ごしています。

身体的な不自由さとともに生きている人のことを「the Challenged(チャレンジド)」「チャレンジドパーソン、チャレンジドピープル」という言葉で表現しますが、お会いしたお二人もまさに、挑戦をご自分に課している人、生まれてくる時点でその資格を授かってきている人なのではないか…と思える人たちでした。高波動だ、と感じました。
私は、ピアニストの辻井伸行さんのお話や演奏に接すると、涙が出てくる…ということがあるのですが、そのとき自分が 何に反応しているのか を思うと、今回感じ取ったものも同じだと思います。
ご本人たちもそれぞれに、社会を、地球を生きていくと経験する様々な問題、悩みに出会っている…、それは健常者である自分と同じなのだけれど、なんというか、やっぱりレベルの高さ、それも圧倒的なものを感じました。

お話を聴きながら私は、何度も彼らのいる世界を想像していました。
でも、当然、及びません。視覚による情報が得られない世界とは、どんな世界なんだろう…。
それでも、出来る限り想像しながら、お話を伺い、話をしました。

セッションを終えてから思ったことの一つは、”多数派の” 私たちが気づいていない、十分に力を注いできたとはいえない、少数派の人たちにとっての今の社会の仕組み(の粗雑さ、ポンコツさ)についてでした。

それから、”見えている” 私たちは、必ずしも見えていない、余計なものを見ては あれやこれやと文句を言っていたりするし、慣れや強い思い込みによって、ごく限られたものしか見ていないということもあるかもしれない、見えていないという自覚がないから、いつまで経っても見えてこないということもあるだろう…、ということを思いました。私たちは何を見ている…???

今回の出会いによって、私はまた一つ「問われた」「お題をもらった」と感じました。
“叩き起こされた” 気がしています。
これは有り難いこと。生かしていかねば…。そう思いました。

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