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依存しているのはどちらなのか

「世話焼き」といわれる人がいます。
気が好くて、親切で、よく気が付いて細やかに人の面倒を見て、口で何か言うだけでなく行動力もあって…、そんな人。

この世話焼きな人というのは、”いま” あるいは “最近” 心掛けてそうなっているというより、生まれ持った性格と育った環境の中で身につけたものでそうなっているものですね。無意識に そうしてる。ついつい そうなる。

何ごともそうですが、人の世話を焼くのも、ほどほどならよいのです。
でも、度が過ぎると、世話を焼かれている方に害が出ますし(自由を奪われ窮屈な思いをしていたり、ダメな人間だと思い込まされていたり、成長の機会を奪われてしまっていたり・・・)、じつは、世話を焼いている方も困っているし、頑張っているのにいつも苦しい・・・、そんな状態になっていると思います。

「世話を焼いている方が困っている」・・・というのは、表面的には「子どもが受験勉強を自主的にしなくて困っている」とか「夫が自分の身の周りのことすらできない人で困っている」とか「身体を悪くした友人が、自分を頼っていろいろ頼んで来るので困っている」ということですが、それはそれとして(もちろん、それも問題ですが)、
そういうことより もっと重要なのは、きっとその人は「世話を焼く対象あっての自分」であり「世話を焼く相手がいなくなったら困ってしまう人」だということです。

本人の認識としては「世話を焼かせる人に困らされている」のですが、本当のことを言ったら「世話の焼ける人、世話を焼かせてくれる人が自分の周りに誰もいなかったら、私の生活は成り立たない。私の存在意義が見出せなくなってしまう」のです。
つまり、本人は「子どもが/夫が/恋人が、自分に依存しているのが問題だ」と思っていますが、本当は、自分の方が、子どもに/夫に/恋人に、依存しているわけです。
「自分に依存してくる人が必要」「自分なしではやっていかれない、と言う(そう思っているはずの)人がいないと困る」「世話を焼かせる人の存在が自分の生活の活力源だ」・・・こう書くと、それは問題だ、ということが分かると思います。

他人の世話を焼く、他人に尽くす・・・、そういうことでしか自分の生活、人生が成り立っていかないように思えるなら、そしてそのことの陰に、自分の自立や自尊心の問題や、虚ろな感情や寂しさを、なんとなくでも感じ取っているなら、一度ご相談ください。

自分の人生の成り立ちを、愛情深く丁寧に見直してみるのは、とても意味のあることです。
深いところで(頭ではなくハートで)気づきを得ることができたら、新しい歩き方を始めることは難しくありません。

せっかくの人生です。人に尽くして感謝されたとかされないとか甲斐がないとか寂しいとか、そういう「他人次第」なのはやめて、なんとか、自分で勝手に幸せになっていく・・・ということにしていきませんか。お手伝いします。

 

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