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眺めている

私の母は「要介護1」というレベルですが、認知症です。
我が家は完全分離型の2世帯住宅になっているので、今のところ、暮らしも概ね “完全分離” です。
とはいえ、母本人は「自立した独り暮らしを送っていて快適だ」と思っているようですが(デイサービスでしょっちゅうそれを自慢しているらしい)、実際は衣食住、お金の管理など、いろいろと出来ないことが増えていて、しかもそれらのことに関する「援助の仕方」に工夫が必要なので、なかなか大変です。

家族親族知り合いは皆、まだ身体的には元気で寝たきりには程遠いし “しもの世話” も無いんだから大したことはないでしょ、という言い方をするので、まぁ確かにね…と言ってにっこりしていますが、本心は「そんなふうに言うなら代わってみ?」「代われないなら外野からの無神経なコメントは控えたまえ」と思っています。
しんどさを理解されないというのは辛いものです。

そもそもですが、私が母を看ることをしんどいと感じる理由は、「母との間に もともと愛着関係を築けていないこと」に尽きます。
そのあたりのことについては、長きにわたり出来る限りの取り組みをしてきたつもりで、母に対する “幼い私の未完の感情” も、ナマモノとしては残っていないんですけれどね。痛む傷は手厚く癒したし、我ながら気の毒なくらい諦めたし、一定の感謝や尊敬の念も、無理なく抱けるようになっているし…。

でも、同じ家屋の中に暮らし、様々に工夫し気を配り、それらが頻繁に “受け取り拒否” など理不尽な対応に遭うことも大らかに流し、なるべく口角を上げ、淡々と世話を続けていく…という日々は、私にとってはなかなか大変なことです。
何か “次回の人生に使えるクーポン券” でも貯めてるところなんだと思わないことには「やってられないなぁ…」と思います。やってられない、と言っても、何か頑張っているわけではないので、「無理しないでね」「息抜きしてね」と言われても困るのですが…。

以前、師事していたヒーリングの先生(サイキック)から、
「あかりさんは、まだロマンを捨ててないのね。母娘という関係性の中にあるはずの何かを いつかは見られると思っている。諦めていない」
と言われたことがあります。
そうか、私はロマンを捨てていないのか、諦めていないのか…と思い、否定できないなぁと思いました。

それからもう10年近くが経っていますが、どうなんでしょう…。
まだ諦めていない何かなど、あるんだろうか…。

あるとすればそれは、これまでの視点や思考のままでは、見えてこないものだという気がします。
いつか自然に、優しく、脱力した状態で、すんなりと受け入れることになるのかもしれません。
そこはわかりませんけれど、一日一日、自分に「そこまではできる?」「これでいい?」と尋ね、答えを聴き取りながら やっていってみよう、と今は思っています。

しかし・・・
面白いなどと言っている場合ではないのですが、母の 記憶する機能の損なわれっぷり はもう、嘆かわしいという段階を過ぎ、笑ってしまうレベルになっています。面白い。
「それ、1分前にも10秒前にも言ったんだけど?」「毎日毎日、よくもまぁ同じ間違いを…」と驚いたりします。
母はほんとに、刹那だけを生きているのだと思います。悔やむ過去も心配な未来も、ないようです。

記憶というのは「巾着袋」のなかに蓄えている、そう考えると分かりやすい、と認知症の専門医の先生の著書で読んだことがあります。
遠い昔にその巾着袋に入れられた古い記憶は失われにくい、新しい記憶は容量の少なくなった巾着袋の上の方にふわっと載せられているだけだし、巾着袋の口の紐はもう緩んでいて縛れないから中身はどうしても零れてしまう…、だから新しい記憶の保存はとても難しい、と。

・・・にしても母は最近、新しいものだけでなく古い出来事の方も「おぼえてない」「知らない」ばかりになってきて、できないことも増えてきて、感情の抑制も利かなくなってきています。もともと思慮深さというものが見当たらないタイプの人だった母は、幼児のように見えることが増えてきました。

よく、認知症になってもその人らしさの核は失われない…というようなことが言われますが、母の場合、何が母らしさ(〇川〇子さんらしさ)なのだろう…、あぁ、これが本質なのか…、などと考えると、なんとも寒々しい気分がしてきます。

でも私にとっては、母親の人生が穏やかに終わって行こうとしているのを毎日近くで見ている、というのも必要な体験なのでしょう。できるだけ凪いだ心で眺めていようと思います。
同時に、母が思い起こさせてくれるものを通して、自分自身のことも眺めていようと思います。

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